Latest Entries

Sapiens: A Brief History of Humankind

かの大ベストセラー「サピエンス全史」の英語版。Kindle for iPhoneにて読了。人気者に背を向けるクセがある私だが、英語版を読んだ人からも”イイ”のお声があり、読んでみたら、世間で色々云われている評判がよくわかった。とにかく読みやすい。それとユーモア(たとえが上手い)、常識を覆される意外性。小難しくなりそうなこんな歴史本をこんなに楽しく読ませてくれるのは凄い。ノンフィクションが苦手な私が、下手な(笑)フィクションよりもずっとずっとサラサラと読めた。

0099590085Sapiens: A Brief History of Humankind
Yuval Noah Harari
Vintage 2015-04-30

by G-Tools

多少アカデミックな単語があるので、その辺りはKindle for iPhoneの辞書機能をちょこちょこ使ったが、文章はシンプルで極めて平易。でも楽しめるのは、やはり例えの上手さ。紀元前の話しや中世の話しを現代に置き換えて、想像しやすくしてくれる、そしてそこにいつも少しばかりのユーモアも含める。所謂歴史上のイベントをなぞる場合でも、マニアックな例はほとんど登場せず、世界レベルで標準(?)的な例を出してくれるので、謎の固有名詞に突っかかることもなく、教科書レベルで登場する固有名詞の知識でだいたい事足りるので、それも楽。お堅い歴史本なんかは、時系列に時代を上って行ったりするが、これはテーマ毎なので、時代は行ったり来たりもする。でもそれがかえっていい。ベストセラー故賛否両論はあるが、知識層ではなく一般向けに書かれていること、フィクションであろうと結局のところ文章というのは、著者の考えが出てしまうのは仕方ないことで(だから面白いわけで・・・)、それを考慮すれば、こんな壮大なホモサピエンスの70,000年の歴史を英語で読んでもストレスを感じさせないで読めるってことは見事だ。

サピエンスたちがその小さな身体で生き残れたわけを、大きくこの3つの革命に焦点を当てながら進んでいく。生物学的見地もあるのだが、究極的には文化論・哲学であるかもしれない。
Cognitive Revolution
Agricultural Revolution
Scientific Revolution


Scientific Revolutionくらいになると、さすがに近代から現代の話しになるが、Cognitive Revolution と Agricultural Revolution は先史時代の話しなので、知識も情報も少ないだけにへえ~~が多くて面白い。ホモサピエンスによるネアンデルタールの大虐殺説や(あくまで説だが)、決して身体的に強靭だったわけではないホモサピエンスが最終的に生き残った理由とか、進歩としか思っていなかったAgricultural Revolutionの負の面が沢山あったり・・・そういったものは、過去の歴史というだけでなく、現代に至るまでに起きた様々な出来事に置き換えて考えても、至極納得のいくものだったりする。土地に縛り付けられ、生産性を向上させるために過剰な労働を強いられることになった農業革命は、ノマド的な狩猟生活のお気楽さと比較すると、現代人の悲哀とどこが似ているとさえ思えてくる。どうも人間の認知の上限が150人らしいという150人の法則を超えた組織においては、その組織を維持するためには、虚構を信じることで組織が保たれる。虚構は宗教やカリスマ指導者というものだけでなく、現代でいえばブランド力だったり洗脳的な広告であったり、貨幣でさえそれは便宜上生み出された虚構に過ぎない。また我々はついつい過去のジェノサイドや戦争や飢餓の悲惨さだけを見てしまうが、それによる死者の数は、現代において絶対数という意味では、病気で亡くなる人の方がはるかに多い。であれば、人類という視点では、どちらがより死活問題なのか?そしてそして、科学の発展はサピエンスという人種自体を超えた存在に作り上げることも可能になるかもしれない。サイボーグ人間をつくることは既に可能なのかもしれない。遺伝子操作もきっと可能なのだろう。人類は神になるのか?しかし・・・・である。

このあたりのへえ~~は大ベストセラー故、ネットでググれば他の誰かが懇切丁寧に書いてくれているのでよいとして、さて、問題は、Scientific Revolution の果てのホモサピエンスの未来だ。我々はそれがよかれと思って発展を遂げてきた。科学しかり、文明しかり、だが、結局のところ人類の幸福が何かという問いには誰も答えられない。これはマクロの話しだけでなく、同時に個人のミクロの話しでもあり、当たり前だが利便性や金銭的に裕福かどうかということでもない。

ホモサピエンスの歴史は70,000万年だが、実は昆虫はどうも4億年らしい。サイボーグ人間が普通になる世の中が仮に起きたとしても、それもきっと瞬きの世界で、生物学的見地ではホモサピエンスとネアンデルタールの凌ぎあいくらいの出来事なのだろうか?そもそも、ホモサピエンスの進化は他の種族を犠牲にして、時には根絶やしにしてきた歴史だ。そのホモサピエンスが未来永劫、地球の頂点に居続けられるのか?生物の進化は、必ずしも一番が二番手以降を蹴散らしてきたわけではなく、むしろ弱いと思われていたもの、異端と思われていたものにいつのまにやら逆転されていたりするではないか。

視点というのは大事だね。どこを見るかどこから見るか、物事は平面ではなく常に立体なのだな。

今年はシロップ漬

日常は大事。悩みも面倒事もうんざりもあるが、右に左に揺れながらどうにか日常の暮らしを保っている。たぶん、保っているかどうかのバロメーターにしてもよいかな、と思えるのは、こんな季節毎の作業。

Ume syrop

梅。青々とといかにも初夏の香漂う青梅。もちろん地元産。下戸の私は梅酒は作らない。梅干しはやりたいのだければ長期戦になるので今は自信がない。梅酢は何度か作ったが、今年は梅シロップにした。梅と氷砂糖を漬けておくだけという極めてシンプルな作業。月曜日の晩に仕込み、いまは氷砂糖が溶けるのを待っている。日中誰もいない部屋に置き去りにするので、出来るだけ涼しい場所に置き、あとは溶けるまで毎日”おいしくな~れ、おいしくな~れ”と願いながら、壜を振る。2-3週間もすれば飲めるようになるはず。

春になるとこの手のものが次から次へと現れて、イチゴジャムに蕗、新生姜、山椒の実、とせっせと仕込んできた。さてと、次は何があったのだろう?まもなくブルーベリーが出始めるはずなので、そうしたらジャムをせっせと作りためる。

こういう保存食作りは、実は食すことより作る方が面白くて出来上がったこんな瓶詰を見ているだけで達成感と幸福感が湧いてくる。現代感覚からすると手間のかかる面倒で地味な手仕事に没頭する、没頭できるという幸せを忘れちゃいけないのよ。

文庫本のこと

実は昔々、文庫本がどうも好きになれない・・・と書いた(はっきり!)。 それは私にとってはかなり譲れない好き嫌いだったはずで、頑なに文庫本があってもわざわざ単行本を探していたりした。それがここ1-2年、もろくも崩れ去っている。しかも、わざわざ文庫本を選んで買っていたりする。大見得を切っただけに、誰からも責められてもいないが、自分勝手に罪悪感を感じている。しかし、読書が通勤時間にほぼ限定され、ザックになんでもかんでも詰め込んで持ち歩くと、単行本は大きいだけに、角がやられ、ダメージを受けやすい。いくら古本とはいえ、本がダメージを受けるのは嫌なものだ。その点文庫本は通勤向けにできている。

って、書きながら、これって自分への言い訳だなあ、とわかっている。要は、頑ななポリシーというのか、カッコつければ美学というのか、それがなくなってしまったわけだ。何故?歳をとったからか?単行本を支える腕に筋力がなくなってきたのか? うん、それはちょっとあるかもしれない。文庫本は確かに楽だ。片手で読める。世の中重たい単行本より文庫本の方が人気があり、同じ本だったら、文庫本のほうが高いということは結構あって、だから決して、お金の問題ではない。

今のところ年齢説が一番有力だ。歳をとっていくと、こだわりがどんどん減っていく。元々どうでもよいこだわりだったり、若気の背伸びや見栄だったこだわりは、次から次へとどんどん捨てられている。見た目を気にしなくなったのは、良いことでもあるし、歳をとった証でもある。が、心身ともに楽になることは事実。

しかし、本はそれでよいのだろうか?本への愛着が薄れているのか?と不安にもなる。それとも、昔よりずっと本を読むことに対して力が抜けてきたのか?

ボートの三人男

どうも最近、光文社の古典新訳文庫で、「ボートの三人男 もちろん犬も」が発売になったらしく、Twitterでちょくちょく見かけた。当然新刊は高いので、新訳じゃなくて中公文庫版にしてみた。こちらの翻訳は丸谷才一、なんだ、いいじゃないか。。。ということですんなりこちらを購入。

4122053013ボートの三人男 (中公文庫)
ジェローム・K. ジェローム 丸谷 才一
中央公論新社 2010-03-25

by G-Tools

Jerome Klapka Jerome(1859年5月2日 - 1927年6月14日)は、一時代前のイギリスの作家ではあるが、訳も上手いし、1898年刊行のくせに古さは全くない(日本で云えば、明治の御代)。ユーモア作家というくくりになっているけれど、日本語Wikiではこの「ボートの三人男」の一発屋みたいな扱いだが、実は作品はたくさんある(でも邦訳がないのかな?)。ただこの「ボートの三人男」のヒットぶりや相当爆発的なものだったらしく、映画、テレビ、ラジオ、舞台劇、ミュージカルになり、テムズ川下りの観光に多大なる影響を与えたという。とにかくイギリス臭がベタベタで、ユーモアやギャグだけでなく、食事から景色から精神構造に至るまで、モンティパイソンとウッドハウスを混ぜ合わせてさらにパワーアップさせてくらいのイギリス度合。

Englandの地理と歴史がもっとわかればどれだけ楽しめたろう・・・と真面目に後悔した本。情報が足りなくて脳内画像が浮かびきれないのが悔しかった。が、三人男が旅したテムズ川を遡る旅のルートはこれ。

three men in a boat

この三人男は中産階級くらいなのだろうか?気鬱に取りつかれた三人の紳士となっているが決して有閑階級でなく、視点は庶民のそれに近いので、ギャグに混ぜた皮肉も社会風刺を含んでいる。含んでいるが風刺が全面にでても面白くもなんともないので、ただこのおバカ三人男の珍道中が楽しいし、語りが饒舌。バカ話しばっかりでもなく、そもそもテムズの歴史と地理がを描こうという発想から生まれた作品なので、至極真面目な(笑)話しもあるし、そして河岸の風景、町の様子、天候で変わる景色など、詩人のような美しい文章もあり、実に多彩で艶やかだ。もちろん私は邦訳で読んでいるので、半分は丸谷才一氏の腕なんだろうな。

行きはテムズを上り、帰りは下りなわけだが、終点のOxfordに到着してからLondonに帰る帰途の話しは、最後のほんの数ページ。それも雨にたたられ、長旅に疲れた3人+1匹の惨めな姿。ロンドンを目前に彼らはボートを捨てて、暖かいまともな食事を目指し、やっと乾杯にありつく。今までの馬鹿話はなんだったんだ!と云いたくなるほどのあっけない幕切れだが、いやいや、それでも3人と1匹は楽しんだんだろう、そして喉元過ぎれば熱さを忘れるの諺のごとく、再びテムズでボートを漕ぐのじゃないだろか?とほんわかとした気持ちにさせられる。

ネットで見たレビューの中には再読派が多数いて、読み終えた私は今その気持ちがとてもよくわかる。大袈裟に云えば、人生っていいもんだ!と思わせてくれるので、そう思いたい時にはこの本を広げてしまうかもしれない。そして読んだ人はそれぞれに自分のツボにはまったエピソードを披露してくれているが、パイナップルの缶詰との格闘という最大のライバルを押しのけて、私が一位に推薦するのは、巨大鱒の話し。この起承転結具合とオチは、まさしく落語の世界だ。古今東西可笑しな話しは共有できる。

いやいや、楽しい読書だった。

怪奇な話

まだ飽きていない。

4122009472怪奇な話 (中公文庫 A 50-6)
吉田 健一
中央公論新社 1982-08-10

by G-Tools

短篇集ということでよいのだろうか?吉田氏、タイトルにあまり凝らないタイプとみえて、タイトルから想像する内容と実際の内容が大きくずれていて、あっけにとられた。どう見ても幽霊話しにしか見えないのに、否、実際に幽霊のようなものは登場するが、真夏の怪談話しでもなんでもない相変わらずの吉田節。その幽霊とやらも何の悪さもしないどころか、むしろ主人公をもてなし、イイことをしてくれ、御礼を・・・なんて考えたりする。 そして明らかな起承転結もなく、すべては淡々始まり、淡々と終了する。淡々と終了するのだが、最後はなんだかすっと腑に落ちるような不思議なエンディングだ。

山運び
お化け
酒の精

幽霊
老人
流転
化けもの屋敷
瀬戸内海


「月」と「化け物屋敷」が好きだな。

「化け物屋敷」は空襲で焼け残った一軒家に引っ越した男のはなし。自分しかいるはずのない家に、足音や話声やピアノの音が聞こえる。飼っていないはずの犬もいる。男はそれを家の一部として自然に(まったくもって自然に!)に受け入れる。そこには今という時は、過去も含めて今なのだという一貫した吉田氏の主張がある。

「月」はもしやと思い、ほぼ確信があったが、念のため書物の王国「月」をパラパラと開いたら、やっぱりあった。東雅夫氏がほおっておくはずはない。が、覚えていなかったのは不覚のいたすところ。

それにしても彼の作品では、よく登場人物がワープするのだが、ワープ元は神田古書店街で、ふと気づくとロンドンテムズ川河畔やパリを浮遊している。ロンドンとパリはいいとして、日本は神田なのね、とクスっとしてしまう。

句読点のないウネウネ文体にも慣れ、特に違和感がなくなってきたのは良いことだが、吉田健一ばっかり読んでいると、吉田健一の本しか読めなくなるんじゃないかと不安になってきた。こういう不安は始めてだ。ので、次回は休憩して少し吉田健一を離れることにした。

東京の昔

まだまだ続く、吉田健一氏。
これって、彼が戦後若かりし日を思い出しながら、あーでもない、こーでもない、と回想した古き良き時代の東京下町に関するエッセイだと勝手に思い込んで読み出したら(途中までそうだと思って読んでいた)、ちょっと違う。フィクションはフィクションなのかもしれないが、それもまた何かがチト違う。大きな事件が起きるわけでもなく、淡々としたほぼ日常を描きながら、文体もさることながら、スタイルまで吉田節満載だ。何故なのか、何がなのかが未だよくわからないのだが、とにかく彼の作品は不思議だ。

B000J95WX2東京の昔 (1974年)
吉田 健一
中央公論社 1974

by G-Tools

舞台は昭和の初期、戦前だとか戦後だとかという概念さえなかった時代。本郷の信楽町(架空の地名)に集う仲間たち、主人公は定職はないがそれなりに小銭を稼いで、のんびり生きている。そんな風でも生きていけた時代であったらしい。下宿先にいるのはおしま婆さん、ご飯の面倒も見てくれたりする下町のおばさん。湯豆腐なんかを作ってくれちゃう。友達になった近所の自転車屋の勘さん、近所のおでん屋で知り合った帝大生の古木君、色々やっている実業家の川本さん。おでんを食べ、古木君を連れ銀座の書店をめぐり、ハイカラなカフェにいき、勘さんの手作り自転車を売ろうと試みたり、パリに憧れる古木君と文学やヨーロッパの話しをし、その彼をどうにかパリに行かせようと作戦を練り、そしていつもどこかで集っては酒を飲んでいる。そういえば吉田氏の神髄は酒だった。

吉田氏がこれを書いたのは、昭和40年代だと思うので、その時点で既に50年近い昔を振り返っているが、今読んでいる私にとっては90年以上の歳月の隔たりがある。昭和とはもうそんな昔になったのか・・・日本における西洋文化の見本市のような銀座であっても、下町本郷のおでん屋であっても、エリート帝大生も、自転車職人の勘さんも、話題にしても、プルーストや文明論も酒飲みの酒話しも湯豆腐も同軸にある。ここが一番好きな点かも知れない。この気負いのなさと云うのか、本質を見抜く目というのが好きなんだなあ。

まだ吉田健一は読み始めだが、表面的にはどれも日本、英国、ヨーロッパと比較文化論的な語りは多いのだが、その先には、距離と時間に関する考察があるような気がする。具体的に何なのかはもうちょっと読み進めて考えるとして、この人、飄々とした(性格はよくわからんが・・・)文体ながら、いつも少し離れたところから、今を眺めている。本書の中で、古木君と日本とヨーロッパの距離についてさんざ話しているのだが、その距離というのは、物理的距離だけでなく、心理的距離もあり、東京の中にいて感じるヨーロッパと実際にいる東京との距離もあり、それに絡まるのが時間。それを読みながら、不思議なことにそれ以上に感じていた距離は、吉田氏がいつも少し離れたところから世を見つめる、その世の中と彼の視線の距離だった。ずっと視線を感じるんだなあ・・・

吉田健一続行中・・・

ヨオロッパの世紀末

吉田健一氏、どこから読んだらよいのかわからず、適当に見繕って集めているので、今回は、いや、これって初心者がよんじゃあ、いけなかった、と思ったけれど後の祭り。

4003319427ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)
吉田 健一
岩波書店 1994-10-17

by G-Tools

18世紀のヨーロッパこそが、ヨーロッパがヨーロッパたる由縁のその文明を完成させた世紀。19世紀末のヨーロッパは、ヨーロッパ=世界となった野蛮と卑俗の19世紀ヨーロッパに訣別し、真のヨーロッパの認識とその全時間を生きて豊饒な黄昏の光に輝く。著者を代表する名著。昭和45年度野間文芸賞受賞。

「明晰な晦渋体」と解説の辻邦生が述べている。よく云ったものだ。その後ネットで色々探しては読んでいるが、これだけ個性があると賛否両論あって面白い。18世紀のヨーロッパがヨーロッパたる文明を完成させた世紀とのっけから云われたら、もうその時点で私には手に負えないのだが、どうにか読み切ると、↑にあるような「野蛮と卑俗の19世紀ヨーロッパ」に声をあげていること、ヨーロッパの神髄は18世紀にこそある、これを論じているが、彼の理論は(主張は)、天才の独走に近い。独走いや暴走?それは何だか可笑しいのだが、最初から最後までこの本の中の吉田健一は不機嫌なんだな。そもそも彼は歴史を学術的に語るつもりはないのだろうから、不機嫌に吐き出せるだけ吐き出している様相に見える(でもそれが何だか可笑しい)。
そういえば、後記にこうあったんだった。

「最初はビアズレイの絵や象徴派の詩に就て多少詳しく書けば」と思ったが、「仕事を始めてそんなことですむものではないことが解つた。」「ヨオロツパに、何か解らないことがあつたらそれに就て一冊の本を書くといいという格言がある。これは本当のやうであつてヨオロツパに就て今度これを書いてゐるうちに始めて色々なことを知つた気がする。」

その彼が嫌いな(笑)19世紀は、帝国主義の中に国民国家の萌芽し、産業革命がおこり、科学が発展し・・・このどこが”野蛮と卑俗”なのか、結局理解できないまま終わってしまった。でも吉田氏は熱弁を繰り返す。彼は、「観念」を否定する、正確に云うと、観念が人間を支配する世の中を嫌う。観念ありきの政治・科学・経済活動を嫌う。生きた人間が不在の神でさえ観念となるような、抽象的で合理的な世を嫌う。彼はどこまでいっても人間の”生”こそが”生”を高らかに謳歌するのが好きなんだよな。

わからないなりに感じるのは、この人は酒を飲むことも、文学を愛することも、文明を語ることも全部同じだったんじゃなかろうか?そこに高貴も卑賎もなく、ただ美味い酒か不味い酒か、溺愛する詩か低俗な詩か、彼にとっての尺度だけを信じて、ノンシャランと生きた人だったのかと・・・ (今、のめり込んでいる最中なので、若干褒めすぎているとは思うが)

次は、酒や喰物ネタのやさし目の本を読んでみる。

Appendix

プロフィール

Green

Author:Green
夜な夜な本読む・・・日本語は海外文学ばっかり。英語はフィクションばっかり。喰わず嫌いでどこまでいけるのか?

流行りモノとか、人気モノとかすっかりどうでもよくなり、本と散歩とあとはぼぉ~~っとすることだけが今の楽しみ(それでいいのか?)

Calendar

<
>
- - - - - - -
- - - - 1 23
4 5 6 7 8 910
11 12 13 14 15 1617
18 19 20 21 22 2324
25 26 27 28 29 30 -

全記事

フリーエリア

フリーエリア