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京都のおねだん

この春から姪っ子が大学入学を機に、何と京都暮らしを始めた。どうも京都に行きたかったらしく(動機は聞いたがよくわからん)、はなから京都狙いの大学受験で、見事に京都行を果たした。動機はさておき、心意気は伯母さんも認めている次第。受験前の下見で、母(つまり妹)と伯母さんと姪っ子の三人が、能天気に観光気分で日帰り京都旅行をしたのは、去年の秋。まだ紅葉はだいぶ先でちょっと暑いくらいの晴天の一日。思い出すに、伯母さんはおそらく30年ぶりとなる京都訪問であった。そして驚いた。京都という町はこんなにいい町であったのか!修学旅行から私もずいぶん大人になって、見えるものが違ってきた(当たり前だ!) 姪っ子ではないが、私だって住めるものならちょっと住んでみたいと真面目に思った。そんなにわか京都かぶれがこんな本を楽しく読んでみた。

4062884194京都のおねだん (講談社現代新書)
大野 裕之
講談社 2017-03-15

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なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか――
大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。
そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。
そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?

京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。
京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。
2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。


筆者は大阪出身で京都住まいだが、京都大学の学生時代から京都に住み続けているという。そんな20余年の年月でさえ、京都1200年の歴史の前では、赤子も同然らしい。そしてそれは十分にわかっている筆者は、控えめにでも興味津々で京都ならではの経済学とお金の価値を話してくれる。嫌みのないなかなか楽しいエッセイだ。もちろん、在野の人間がまっさきに考える舞妓さんと遊ぶといくらかかるのか?とか、価格表のない世界の話しはあるが、それはあくまで外側にある飾りみたいなもので、当然ながら、京都観光案内書でさえない。その舞妓と遊んだらいくら?は実験も行い請求書コピーも載せてくれているが、それは実は本題でもない。なるほどと思うのは、舞妓さんとそれを抱える置屋さんの仕組み、そしてお財布を持たずにモノの値段も知らないという舞妓さんという存在の意味の方がなるほどなのである。但し、一番面白かったのは、教師も生徒も変人奇人の自由を求める京都大学の自前ネタなんだけどね。

ということで、お値段調査の本だったら、楽しくもなんともなかったが、それを知りたくて買ってしまった人には、ちょっと期待外れになるかも知れない。

他の地域ではすっかり廃れてしまったが、京都ではいまだ息づくコミュニティーのこと、「旦那」と呼ばれる人種が脈々と生きていけるわけ、値段表が存在しないわけ。東京遷都150年を経て、なお続く京都の庶民の底力を見た気がする。そして伝統を守るためには、常に新しいことに興味津々でチャレンジするのも、京都を京都足らしめている一つの理由だ。学生や研究者や文化人にも京都は優しいという。そして貧乏人からは金をとらず、金持ちからはいただく。でもお金を払うことの意味が、見かけの損得や大小ではない。騎士道にもちょっと通じるような理屈がそこにあるのが、金がすべてになりがちな現代にあっては、稀有なこと。

ああ、京都に行きたい。でもさすがに今は行けないこのもどかしさ。

Game of Mirrors

ほぼシリーズ最新刊に追いついたはず・・・の緩みから、1年ほったらかしだった。

0143123777Game of Mirrors (Inspector Montalbano Mystery)
Andrea Camilleri Stephen Sartarelli
Penguin Books 2015-03-31

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水戸黄門クラスの安定的なマンネリ度、いや安定度のつもりで読み始めたら、今回はなかなかのハラハラドキドキ。あーーー面白かった。

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と、ここまで書いてはいたのだが、この後↓の記事の出来事が勃発して、やっとここに戻ってきたものの、何だかはるか昔のことになってしまい、続きがどうも書けない。ま、今回はご容赦いただきたく・・・

ただ、この心地よいマンネリズムに浸りながら読み続けているこのシリーズだったが、今回はなかなかの傑作ですな。Montalbanoの年寄り染みた嘆きも愚痴もなく、一時はあわや、Montalbanoが逮捕?!のスリルもあり、彼の部下は総動員でサポートに回り、そして救い出す一幕もあり、満足満足の一冊でありました。

ウチに帰ろう

6月9日(金)に父が退院し、2か月ぶりに自宅に戻った。

病院にいると病気になるというのは、ホントだと実感していた。でも病院は治療をするところで、認知症患者に世話をしてくれるところではない。それはわかってはいる。でもね・・・でも、なのよ。2か月も病院にいると高齢者がどうなるのかは、怖い噂しかない。でも覚悟を決めて、病院から出してみた。”ウチに帰ろうね・・・”

覚悟なんて現実の前には、ヘナヘナと崩れ落ちる。6月9日から昨日まで10日ほぼべったりと張り付きになった。会社も半分くらいしかいってないな。今週からヘルパーさんの手当てがどうにかついたが、それでも介護保険の限界はある。自費払っていたら、破産する。私の毎日は朝の6:30から夜の9時過ぎまで、会社と介護で休みなしノンストップとなった。そして土日も張り付きとなった。自分の家でご飯どころか、お湯も沸かしていないこの10日間。私だって時には用事もあるが、隙間を見つけて、自転車で駆け回る元気がまだ出ない。自分の家での記憶もほとんどない。これ全部グチじゃなくて、ただただ大変なのである。世の中、こんな人は沢山いて、だから介護離職だの、介護殺人だのが起きてしまうんだろうな。行政の悪口をいうつもりはない。介護保険はありがたいことなんだが、介護に限らず、育児にしても、行政の仕組みだけでどうにかなるわけじゃない。仕組みの狭間の色んなことがあるからこそ、人は暮らしていかれる。よーくわかります。

本?読む時間も気力もない。気力は正確にいうと、常に頭の中に父の世話のことがあり、体も休まらないが、気持ちが休まらない。気の抜き方をまだ会得していない。本を読めるような精神状態になることが、先ずの目標。

壁抜け男

昔々といっても4年前ほど、こんな本を読んでいた。
「マルタン君物語」 
きっとこの後にもう一冊と思って買ったものの、その後本棚で眠り続けていたと思われる。
4152087862壁抜け男 (異色作家短篇集)
マルセル エイメ Marcel Aym´e
早川書房 2007-01

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「壁抜け男」でググると、最初にヒットしたのは、劇団四季の舞台だった。へえ---。本国フランスでも舞台化され、そして日本にやってきたのだが、マルセル・エイメ侮りがたし。そしてどうもこの「壁抜け男」がやはり一番の有名作と思われる。どんなに有名かというと、これも今回知ったが、パリ、モンマルトルに壁抜け男がいる!
壁抜け男 まさしく壁抜け男が、壁を抜ける途中だ。

下記7篇。そもそも寝かし続けたのは、私が勝手にのほほんとしたユーモア作品として認識し、コンパクトで薄めの本なので、急ぎ読まずとも好い息抜き本になってしまったからで、今更ページをめくったら、2段組になっていて驚いた。短篇集だが、案外読みでがあった。
『壁抜け男』
『カード』
『よい絵』
『パリ横断』
『サビーヌたち』
『パリのぶどう酒』
『七里の靴』

マルセル エイメ はあまり裕福な家庭の出ではなく、職業も点々としている。愛想もなく人付き合いも得意ではなかったらしい。奇想天外な話しではあるが、その奇想天外さが全面に打ち出されているというより、登場するのはみな庶民で、生活感が満載で、むしろその奇想天外な枠組みの中で繰り広げる人間模様だ。だからシュールというより人間臭くて、ちょっと物悲しい。壁を通り抜けられる能力、2日の内、1日しかこの世に存在できない人間たち、自分の分身を何万にもつくっていく女性、眺めるだけで満腹になれる絵を描く画家など、素っ頓狂な設定ながら、そこでもがく人間は日常生活を営んでいる。だからなのか、プロットで勝負ならもっと短く出来るだろうが、そうではない。オチで勝負はしていない。戦中戦後という時代背景も濃厚。

で、どれも秀逸ながら、個人的な一番は『サビーヌたち』に決定することにした。”たち”って何かと思ったら、サビーヌはいくらでも分身を作れる。最初は愛人と付き合いためにもう一人作っただけだったのに、どうも惚れっぽい彼女は次から次へと愛人と付き合うために、分身をつくる。その分身が子供を産んだり、分身が分身を生み出したり、揚句の果てには何万だか何十万だかのサビーヌが世界に散らばることになった。どちらかと云えば貞節を守るタイプなのに、仕方なくなると分身を作って短絡的に事を処理するような可愛さが何とも憎めない。

暗い時代の寓話ともいえる短篇集。でもケセラセラのフランス臭もあり、”嗚呼、人生万歳” な一冊だった。

歌う白骨 / オスカー・ブロズキー事件 

「オシリスの眼」の勢いで、「青空文庫」 を探してみた。そのうちの2冊、『歌う白骨』 と 『オスカー・ブロズキー事件』を通勤の隙間でサラサラと読んでみた。
紙の本はよければ、こちらですな(アマゾンは在庫ないけど)。

4861563151歌う白骨 (嶋中文庫―グレート・ミステリーズ)
オースチン フリーマン Richard Austin Freeman
嶋中書店 2004-12

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さて、推理ドラマ初心者の私が今回覚えたのは、倒叙(とうじょ) 英語にすると、inverted detective storyという手法。『オスカー・ブロズキー事件』は、この倒叙の手法を取り入れた最初の作品らしい。まずは、犯人の視点で事件の全容が語られ、章代わって、今度は探偵側の視点で同じ事件が語られる。読者は犯人は誰だかわかっているが、探偵が何に注目し、一見完全犯罪かに見える事件のどこに穴があるのか、等々を楽しむことになる。刑事コロンボがこの手法だそう(見たことないので知らなかった)。が、それよりも『古畑任三郎』がこれだとWikiで云われて、ああ、なるほどと思った次第。

が、正直申し上げて、推理そのものが面白かったかと云われると、それは「オシリスの眼」にはかなうまい。それにソーンダイク博士の存在も薄い。極めて薄いのだよ。推理ものの古典として重要な位置を占めているから、というのなら、一読するのもよかろう・・・ ソーンダイク博士は、科学捜査の先駆け的存在だけど、「オシリスの眼」では安楽椅子探偵だと思っていたら、彼は探偵七つ道具箱という携帯できる科学捜査ツールボックスを持っていて、それを抱えて事件現場にいくような探偵だった。この七つ道具がえらく気に入ってしまったし、ソーンダイク博士は老人ではないことも、今回至極納得した。

100年近く前に書かれた探偵小説の科学捜査に現代の常識を元にいちゃもんをつけても始まらないが、もっと昔は、犯罪や事件は悪魔の仕業のごとく云われて、教会が裁いていたことに比べれば、客観的事実と理論的実証による”推理”というものは、実に近代的思想だ。そして個性豊かなな探偵たちがこぞって世に現れた面白い時代だったのだろう。たぶん、奇癖が目立ち過ぎる探偵より、地味でも説得力のある推理ドラマを求めるなら、ソーンダイク博士はトップクラス。

奇跡なす者たち

「宇宙探偵マグナス・リドルフ」 「天界の眼: 切れ者キューゲルの冒険」に続き、三冊目のJack Vance。国書刊行会では、ジャック・ヴァンス・トレジャリーの第3巻目、『スペース・オペラ』がまもなく発売になろうとしている。うれしいなあ・・・

4336053197奇跡なす者たち (未来の文学)
ジャック・ヴァンス 浅倉久志
国書刊行会 2011-09-26

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今回は短篇集
「フィルスクの陶匠」(酒井昭伸訳) The Potters of Firsk
「音」(浅倉久志訳) Noise
「保護色」(酒井昭伸訳) The World Between
「ミトル」(浅倉久志訳) The Mitr
「無因果世界」(浅倉久志訳) The Men Return
「奇跡なす者たち」(酒井昭伸訳) The Miracle Workers
「月の蛾」(浅倉久志訳) The Moon Moth
「最後の城」(浅倉久志訳) The Last Castle


マグナス・リドルやキューゲルのシリーズを読んでいた時は、ただただ楽しかったが、この短篇で思ったのは、これはもうブンガクだなあ、ということ。SFは喰わず嫌いだが、これが今でもSFと呼ばれるのなら、それは撤回しないといけないかもしれない。ケタケタと笑うことは少なかったが、その描写の見事さといい、異星人間の戦争の様といい、これは毛色はちょっと変わっていようが、異文化間コミュニケーション論と云ってもいいかもしれない。宇宙を舞台に、人間の?地球の?常識にとらわれずに、異なる世界を舞台に作り上げるジャック・ヴァンスは天才!と私なんかは思ってしまう。色彩の見事さ、音楽の使い方、五感の表現、一体どうやったら、こんな異次元の感覚を思いつけるのか不思議だ。

超未来の話しとすると、途轍もなく進歩した科学が最先端のものかと思いきや、そこにあるのは、むしろ魔術や原始の世界であったりする。無理やり考えれば、過去の人類の暗い闇の歴史を下敷きにしているのかと思えなくないが、そんな当てはめ方も無粋な気がする。まことに見事な豊潤たる世界。ヴァンスの起伏にとんだ放浪人生なくして、これだけの創造力は生まれてこなかったのかもしれない。

これは傑作選なのか?と思ったりしたが、もしそうじゃないとしたら、まだまだお宝が一杯なはずなので、強く復刊を希望!!
さて、私は何が好きだったかと云えば、奴隷と貴族のお話しに見える大作『最後の城』を押しのけて、皆が仮面を被って素性を隠し、言葉は楽器の調べに乗せ、まるで和歌でも詠んでいるかのように会話するという『月の蛾』。想像するだけで無気味でシュール。

根府川というところ

いまさらGWの話しだが、遠出もできないし人混みは大嫌いだし、でも折角のお休みだし、と思案した挙句、未探索地根府川に行ってみたのは、5月4日のこと。

根府川は小田原駅から熱海方面の東海道線に乗ると、小田原から2つ目になる。鉄道小僧には駅が有名。その駅の凄さは前々から知ってはいたが、小田原に居ながら根府川に行く用事はない。が、あの駅のホームに降り立った時の爽快さは何度いってもいいと思う。海抜45mにあるホームの眼下はすぐ海、後ろはすぐ山、よくもここにと思うような場所に駅はある。駅は無人駅になったそうで、駅舎は木造の小屋と呼んでもいいような建物だ。

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数年前にヒルトンホテルができたが、そこにいくとしても車でいくか、小田原駅からでている送迎バスで行く人がほとんどだと思う。根府川駅への送迎バスもあるし、駅から15-20分山道を登ってもらえれば歩いても行けるだが、そこまでする人はあまりいないだろうね。それ以外に観光地検索をしても、そうそうヒットはない。海に面した日当たりのよい斜面は、昔からミカンが栽培されるミカン畑だ。春にはおかめ桜という桜が咲き、お祭りもあり、それはそれは美しいのだそうだが、今年は行きそびれてしまった。駅は鉄道小僧には有名な場所だろうが、それ以外本当に何もないよのね。GWだから、根府川にしては人がいる方なのだと思うが、お蔭さまで人混みには巻き込まれず、景色を堪能できた。あまり目的地もなく適当に歩くものだから、途中からミカン畑に入り込み、一本道をただただ下るという羽目になった。日当たりがよいというのが凄くよくわかるのは、山を下りながら、その向こうに相模湾が見えるという場所がたくさんあったからだ。ミカン畑はミカンだけでなくレモンもあった。手を伸ばせば十分盗める状況ではあったが、それはやめてみた(見事なレモンだったんだが)。バスも通らぬ道をひたすら歩き、気づくと海のすぐ脇を走る国道まで下り、やっとのことで再び根府川駅まで戻ってきた。

勿論根府川探索は楽しかったのだが、実は少々悲しい気持ちになって帰ってきた。「田舎礼讚」 という言葉が今頭の中にあるのだが、実際にここに住むということは私には出来ないだろうなあ。平地が少なく集落と云うほどの集落もない。まず何屋であろうが、店舗というものを見かけなった。どこかにあるのかもしれないが、私は見つけられなかった。みんなは日常の細々した買い物をどうしているのだろう。ほとんとが山のこの地では、歩くといっても大変だし、自転車もほぼ使用不可だろうな。人口が少ないのだから、コンビニも海沿いに1件あるだけらしく、それは観光客対応だといっていいと思う。ミカン農家というのは、通常の畑なんかより数倍も広い畑を手入れするのだから、その手間も大変だし、収穫して運び出すのも山からだ。跡を継ぐのも軽い気持ちでできるものでもない。きっと山を売ったところで、そうそう売れるものでもないのだろうし。少子高齢化、空き家問題、過疎問題、縮図みたいな場所なのだろう、そんなことを外にいる人間が軽々しく云えたものではないが、何もないという清々しさを味わうということは、裏を返せばこういうことなのだということを、地元だからこそ悲しく思うのよね。そしてそんな場所だからこその色々な計画があることもちょっとは知っている。廃校になった中学を利用しての畑や太陽光発電や、空き家バンクの登録、柑橘類を加工した商品づくり、等々。そういうことをやり始めるその一歩は、どうしたら踏み出せる一歩なのだろう?踏み出してしまったからこそ、ぶち当たる壁とどう向き合っているのだろう。

でも、そんな人たちがいてこそ、そんな人たちに賛同する人があってこそ、モノが溢れようが、最後は人なのだと、東京にずっといたらそういうことには気づけなかったかもしれない。

Appendix

プロフィール

Green

Author:Green
夜な夜な本読む・・・日本語は海外文学ばっかり。英語はフィクションばっかり。喰わず嫌いでどこまでいけるのか?

流行りモノとか、人気モノとかすっかりどうでもよくなり、本と散歩とあとはぼぉ~~っとすることだけが今の楽しみ(それでいいのか?)

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