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もうすぐ絶滅するという紙の書物について~第2部

面白かった。深いことなんて考えず、すらすらを楽しく読み終えてしまった。それだけでこの本は素晴らしい。知識は、情報は、そこから思考をするから楽しいのだと思わせてくれる。二人の対談は案外軽い。小難しいことを捏ね繰り回したりせず、何でも知っているふたりのお爺ちゃんのちょっと知的は茶飲み話し、だと思って気楽に読めばいい本だった。

物としての本のバリエーションは、機能の点でも、構造の点でも、五百年前となんら変わっていません。本はスプーンやハンマー、鋏と同じような物です。一度発明したら、それ以上うまく作りようがない。

本題は電子本が紙の本にとって代わるかということでは全くなかったけれど、敢えてそれについて言うなら、物としての本は残る、としか言えない。コンピューターの記憶媒体がここ10~20年でどれだけ変遷を遂げたか。Kindleだって10年後には今のKindleじゃないね(間違いなく)。でも紙の本は何にも変わっていないだろうなあ。グーテンベルグの時代から本って根本的には変わっていない。何よりも紙の本の絶対的有利な点は、電源が要らないことだね。メモリスティックにだって本は入れられるけど、電源がないところでは読めない。世界が絶滅しても紙の本なら読める(Fahrenheit 451を思い出す)。読む・書くのツールが何かということと、書物の保存や文化の保存ということは別の次元の話しなんだろうと思う。だからKindleが便利ならKindleで本を読めばいいし、websiteで情報を読むこともそれはそれでいいし、きっと今後そうなっていく。それでも紙の本は残る。

C:フィルタリングなしで、ありとあらゆる情報が入手可能になり、端末を使えばなんでもいくらでも知ることができるようになった現在、記憶とはいったい何でしょうか。・・・電子召使いみたいなのがそばにいて、言葉で発した質問や、言葉にならない疑問に答えてくれるようになったら、私たちが知るべきことは何でしょうか。・・・・
E:考えをまとめて結論を導く技術ですよ。
C:そうです。そして修得するという行為そのものです。・・・
E:真偽と確かめられない情報をチェックする方法を覚えることですね。・・・インターネットに対する批判感覚を鍛え、何でもかんでも鵜呑みにしないことを覚える鍛錬になります。
C:フィルタリングの問題は、読むべきものを決めなければいけないということも意味しています。

文化の伝承というのはフィルタリングを行うことで築かれていったわけで、実際には誰がどんな基準でフィルタリングをしたかで、伝承される文化と伝承されない文化が(意図的であれ、無意識であれ)選別される。後世になり、真偽が疑われる歴史上の事実(と思われていたもの)はいくらでもある。インターネットやグローバリゼーションの最大の功労は全面的で決定的な検閲を不可能にしたということだけれど、逆に言えば出回っている情報の真偽を確かめることを困難にもした。マクロレベルのフィルタリングではなく、個々人のレベルでも、探せばいくらでも現れる情報の中でフィルタリングを自身で行うことが、知識を持つことの楽しさだよね。

C:傑作は最初から傑作なのではなく、傑作になってゆくんです。もう1つ言っておきたいのは、偉大な作品というのは、読まれることで互いに影響を与えあうということです。セルバンテスがカフカにどれだけ影響を与えたかということはおそらく説明ができるでしょう。しかし・・・カフカがセルバンテスに影響を与えたとも言うことができるのです。もしセルバンテスを読む前にカフカを読んだら、読者はカフカの影響で、みずから、そして知らず知らずのうちに『ドン・キホーテ』の読み方を変えてしまうでしょう。・・・・偉大な書物がなぜすいごいかというと、開けば我々のことが書いてあるからで、だからこそ親しみやすく、現代に通じているのです。なぜなら、人類はその頃から生きているわけで、人類の記憶は書物に添加され、混入しているんです。

ボルヘスも似たようなことを言ってたっけ。書物というものは読者が作っていくもの。カフカにより更に深まるセルバンテス。いいなあ、こういうの。人類の記憶が書物に添加され混入する。私の小さな脳みその中でさえ、添加と混入が日々蓄積されているわけだ。

次から次へと語る書物の話しを前に、司会者が両氏に尋ねる ”それらの書物はお読みになったのですか” どうも読んでいない本など巨万とあるらしい。それから読書依存症へと展開し、エーコが子供頃に聞かれたこんな質問の話しになる、”あなたは本に何が書いてあるか知りたくて本を読むの?それとも読むのが好きだから本を読むの?” エーコはどうも後者だったらしく、子供心にも衝撃的な大発見だったらしい。読む愉しみそのものが読書になるという読書依存症。同じ日に2冊も3冊も本を読んだら、いったい何の本を読んだのか思い出せなくなる(私は2~3日に1冊でも思い出せなくなっている)でしょ、と知の巨人は言う。結論はこれか?

C:本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。その点をはっきりさせておくのは素晴らしいことですね。本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないのかもしれませんけどね、それでかまわないんですよ。
E:知識の保証みたいなもんですよ。


こんな真面目な話しばかりじゃなく、この本が楽しいのは二人揃って ”実はこんな話しがあるんです” を連発してくれること。例えば、NASAだか米国政府機関が天文学的に持続する(1万年とか)放射能廃棄物を埋める場所について議論した時の話し。土地を見つけることは出来る、問題はそこへの侵入を防ぐためにどのような標識で周りを取り囲めばよいかということ。2、3千年経ったら読み解く鍵の失われた言語というものが出てくる。5千年後に地球外生命体が地球に降り立ち、問題の土地に近づいてはいけないということをどうやって説明するか?解決策を有名な言語学者に依頼したがその結論は、「どんな言語も、絵文字のようなものでさえ、それが生まれた文脈の外では理解されえない」 というものだった。現在使用されている言語が明日もあさっても理解してもらえる確証はない。ここからが更に面白くて、カリエールは1年間、存在しない文字を作って遊んだらしい。その文字を見た他の人々が何らかの意味を見つけてくれることだってきっとあるだろうから。これに答えるエーコがまた面白くて、「当然です。なぜなら不条理ほど解釈を生むものはないからです。」 つまり(つまりでいいのか?)、難解なものほど解釈を生むから、歴史に残り長持ちするするためにには難解でなければいけない(笑)。

『N'espérez pas vous débarrasser des livres』
これがオリジナルタイトル。「本から離れようたってそうはいかない」というような意味だとあとがきで翻訳者が解説してくれている。ま、そういうことだ。本好きにはもちろん楽しい本だし、蘊蓄好きにも楽しめるし、書物の歴史を知りたい人でもいいし、単に紙の書物の将来に愁いを抱く人でも楽しめる。第一部でこの本の装丁の事を書いたけど、フランス語版の表紙は実はこんなに楽し気なもの。読み終わって思う、この本は実はこんな本だよね(イラストのオジサンが何ともよいではないか!!)umbertoそれにしても年明け早々だというのに記事が長過ぎる(反省)。
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