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人生の日曜日

どんどん発刊されるレーモン・クノー・コレクション。どんどん読まなきゃ。
人生の日曜日 (レーモン・クノー・コレクション)人生の日曜日 (レーモン・クノー・コレクション)
(2012/03)
レーモン クノー

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万年二等兵のブリュは、オールドミスで20も年上の小間物屋ジュリアに見初められ、結婚する。一人で新婚旅行に行くはめになったり、店番をしながら時計の針の動きを追いかけたり、界隈の犬どもを垂れ流す糞の固さと色で識別しようとしたり、マイペースでどたばた続きの毎日。戦争が近づくとともに、ブリュ夫婦の身辺にも変化が起こり・・・。俗世ばなれした、とぼけた主人公が味わい深い、クノーらしさ溢れるドタバタ喜劇。
と、粗筋は本の帯びから(まあ、これでだいたい合ってる)。時は1930年代のボルドー。

Queneauは自身が哲学に傾斜しているから、Queneau研究というと「哲学的側面からみたRaymond Queneau」ばかりで、これが私には辛い。それが胡散臭いとか、興醒めだとかいっているわけではなく、ぶっちゃけよくわかんない(笑)。今回はヘーゲル。
・・・・すべてを均し、すべての悪しきものを遠ざけるのは、人生の日曜日である。これほどの上機嫌を授けられている人間が、根っからの悪人や卑しい人間になれるわけがない。 
ヘーゲル『美学』

文字通り受け取っていいなら、その悪人でも卑しくもない人間の例として創造されたのがブリュ?実は帯びに地味に書かれていたこっちの言葉の方が私にはぴったりとくるんだけどね。
「とりとめのない道草人生」
ブリュの人生はまさしく”とりとめのない道草人生”で、日々、こうする予定がそうなった試しがないような生き方。一人で新婚旅行に行った際(一人で行くこと自体が既にとりとめのない道草人生だけど)、乗った電車がパリ行きかどうかわからず不安で次の駅で降り、その先は各駅停車でパリに到着。パリの街中を行くべき方向と違う方にばかり歩き、娼婦を娼婦と知らずに誘ってしまったり、預けたカバンをそのままにして、目的地のブリュージュに行き、着の身着のままの羽目になったり、揚句、パリに戻ると葬式の列にぶつかり、それについて行ったら、結婚相手ジュリアの母の再婚相手の葬式で、ジュリアと偶然にも再会する。

前半はこんなことばかりの抱腹絶倒のどたばたぶりで、後半になり戦争の影がちらつくと、とぼけた行動ばかりクローズアップされていたブリュの内面が強調されるようになってくる。客先がぱったり途絶えた店の店番をしながら、時計の針に集中して見つめ続けようとするのに、いつもそれが出来なくて別のことを考えている。そして、ジュリアとの結婚で一度除隊したブリュは、戦争が始まり再び二等兵に戻る(でも前線から離れたおまけ部隊)。ジュリアたちが彼の部隊に会いに行くと、神父様と一緒に除隊したという(無神論者のくせに)。神父様を見つけ出すと、今しがた出て行ったところだと言われる。追いかけなきゃ・・・というジュリアたち。出だしの一人新婚旅行とは逆で、今度はジュリアがブリュを追いかける。戦争前夜の街で時計の針を見つめ続け、ジュリアの代わりに似非占い師をし、そして20歳も年上のジュリアと暮らしながら、(ま、哲学的に言えば)そこにブリュの自我、自己認識が生まれてきたとも言えるわけだ。

ブリュは常にメインストリームから離れたところで、傍観者のように生きている。それは世間から見れば、落伍者的な変わり者。ブリュの周りにいる人たちは実体があるけれど、全編を通してブリュには何だか実体がないような気がする。それでもブリュは、私には理想的な人間像に見える。そしてこの「人生の日曜日」はQueneau作品の中で現在一番のお気に入りになった。
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