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ブロディーの報告書

そう云えば、最近岩波文庫でラテンアメリカ文学がわんさと復刊を遂げているらしい。コルタサルなんて続々発売されていて、手持ち在庫との照合が追いついていない。文庫本があまり好きではない私は(でも最近ちょっと増えた)、実は岩波文庫在庫がとても少ない。中学や高校の頃は、それでも”古典”と呼ばれるものを少しは読んだけど、その頃本と云えば、岩波文庫だったはず。。。 改めて最近の岩波文庫を眺めてみると、背表紙はあの岩波文庫色だし、赤xxxxなんてナンバリングも昔のままだけれど、字がデカくなったなあ・・・と時代を感じた。これも復刊を遂げなければ手を出さなかったかもしれないBorgesの1冊。
ブロディーの報告書 (岩波文庫)ブロディーの報告書 (岩波文庫)
(2012/05/17)
J.L.ボルヘス

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自身のまえがきから始まる(要約)。
ストレートな短篇を書こうと試み、リアリスティックな作品を集めた。千夜一夜物語のように、説得することよりも、楽しませ感動させることを望み、鬼面ひとを脅すバロック的なスタイルを捨て、予期しない結末で読者を驚かすことをやめ、よい作品は変化と斬新な趣向によって生み出されるのではないことを知り、70歳になった今ようやく自分の声を見出したと思っている。そして歳をとって作者もまたボルヘスであることへのあきらめの境地に達した。。。

ボルヘスであることへのあきらめの境地ってなんだ?「創造者」でも感じたけれど、「私」は文字通りの私であることもあるし、「ボルヘス」であることもある。そして「私」=「ボルヘス」という単純公式ではないような気がする(というか、本人が使い分けている気がする)。 

11篇の短篇は、迷宮ボルヘスではなく、ガウチョやならず者が登場するアルゼンチンの日常のような風景ばかりで、最初は面食らう。まあ、有り体に言えば、らしくない。人から聞いた話しや、語り伝えられるところによればとか、短篇の中で現れる私は、常に物語の中では第3者の語り部になる。神話のモチーフが随所に見られ、幻想的な描写も多いものの、確かに総じて平易な文章でまさにリアリスティック。飾り気もない。だからといって、この「私」と物語の距離感、「私」の立ち位置の次元は、決してシンプルでもストレートでもないと思う。

突拍子もないオチではないけれど、エンディングにはどれも不意を突かれる。肩透かしを喰ったようにシュンとすぼむように話しは閉じる。「私」の視点は常に予期しないところにある。
・ 今はまだナイフとして記憶されているが、明日は忘れられる。すべての者から忘れ去られるのだ。(「フアン・ムラーニャ」より)
・ 物は人間よりも持ちがいい。この話しはここで終わりなのかどうかわからない。ナイフがふたたびめぐり合うことがないかどうか、これもわからない。(「めぐり合い」より)
・ 神だけが勝敗の行えを決することができるにちがいない。闇でうごめいていた物語は闇に消えるべきである。(「争い」より)
・ ドアが開かれたとき青空を見た。一羽の鳥が鋭く鳴いた。ベニヒワだ、と思った。農具部屋の屋根がなかった。十字架を建てるために梁が取りはらわれていた。(「マルコ福音書」より)


70歳になって自分の声を見つけたというものの、年齢を重ねた余裕とか達観とかそんな感じは全く、むしろ悲しげなのは気のせいか?ボルヘスは読めば読むほどわからなくなる。
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