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求む、有能でないひと

古本カフェにあることはず~~と知っていたけれど、Chestertonのくせに、そして国書刊行会発行のくせに、このチープな啓蒙書のようなタイトルがちょっと気に喰わずシカトしていた。が、「木曜の男」を読んだ今となっては、あの逆説の大家のコラム集というのは、かなり気になる。
求む、有能でないひと求む、有能でないひと
(2004/02)
G.K. チェスタトン

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この本は元々、新聞や雑誌に発表されたChestertonのエッセイを抜粋してまとめたものらしく、そこに ”現代日本にも通ずる警句に満ちた箴言集” というテーマを盛り込んでしまったから、一見胡散臭くなってしまったけれど(笑)、彼が生きていた時代(1874~1936年)を思うと、確かに一昔前に書かれたとは思えないほど、現代に共通する毒の一刺しが多い。自由に民主主義にフェミニズム、政治と官僚と国家と戦争、ジャーナリズムに無神論者にアナーキストに、ダーヴィンの進化論に科学と宗教、教育、揚句にはホリデイ論・・・と大概のことは語っている。

Chesterton語録というのは一杯あるらしく、都度都度、立ち止まってその真偽の程を考えていたんではたまらない。彼にかかると何もかもが、それは本末転倒、とばっさりひっくり返される。逆説の大家は人を喰った物言いで、時代背景の違いを大目に見ても、それは誇張しすぎ・・・のブラックユーモアもあるけれど、私が得た教訓(?!)はと云えば、要は彼の論理が、いやそれが誰であっても、正しいとか正しくないとかはどうでもいいんだろうってこと。曖昧さとか、優柔不断さとか、無意識の偽善とか、間違った妥協が生み出す弊害とか、決定すべきことからの逃避とか、世の不合理はそこから始まるんじゃなかろうか? 「二点が固定していなければ中間点は見いだせない」から、お互いが自分の要求をはっきり言わず、根っこにある理想の姿をモヤモヤにしたまま、自分の本心がどこにあるかも分からず、日和見主義になると、いろんなことが混乱してくる。Chestertonの時代から100年を経て、”羊飼いのいない羊” ではなく ”大勢の羊飼いに大声で呼びかけられる羊” になってしまった我々に必要なのは、「受容拡大ではなく、決然とした選択と拒否」。羊の例えは日本人には身近な感覚とは云えないけど、「決然とした選択と拒否」と言い切られるとスカッとする。

政治や国家を論じた最後に、「自由」と題したいくつかのエッセイでこの本は締めくくられる。自由論とか自由主義とか小難しいことじゃなく、軽妙な語りでさらりと終了。鋭い論客はちょっと影を潜め、ナンセンス大好きなイギリス人の姿もちょっと見えるようで、この構成はいいなあ。
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夜な夜な本読む・・・日本語は海外文学ばっかり。英語はフィクションばっかり。喰わず嫌いでどこまでいけるのか?

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