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ブラス・クーバス死後の回想

こちらで初めて読んだ光文社古典新訳文庫。最初に買うはずだったこの本にようやく到着。この文庫シリーズは字がデカイ。行間も広い。あとがきも入れたら560ページの大作ながら、ページをめくるスピードはやっぱり早い。

「こんなに豊饒で魅力に満ちた古典を、なぜわたしたちはこれほどまで疎んじてきたのでしょうか。ひとつは古臭い教養主義からの逃走だったのかもしれません。真面目に文学や思想を論じることは、ある種の権威化であるという思いから、その呪縛から逃れるために、教養そのものを否定しすぎてしまったのではないでしょうか。」
これは出版元の光文社のHPにある言葉だけれど、なるほど、私の喰わず嫌いに通じるものがある。古典を読むことで現代を知る、なんてことを考えて読むわけじゃなく、私は面白けりゃなんでもいいんだけれど、情報過多のこの時代、変わっていくものは情報となるけれど、変わらずにいるものは情報にはならない。だから変わずに存在し続ける凄さは見落とされる。古典のある種の重さ(ま、時には暑苦しさ)には現代の激しい移り変わりの中では切り捨てられてしまう純粋さみたいなものを感じる時がある。少しでも身近にそれを感じる機会を与えてくれるなら、このデカ字の新訳シリーズには、頑張れよ・・・と、と言ってやりたくなるんだなあ。
ブラス・クーバスの死後の回想 (光文社古典新訳文庫)ブラス・クーバスの死後の回想 (光文社古典新訳文庫)
(2012/05/10)
マシャード ジ・アシス

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ラテン文学といいながら、ブラジルは手を出さずにいたのは、ブラジルってポルトガル語なんだよね、それってやっぱりスペイン語圏のラテンと違うのかしらん?ポルトガル圏とはいえ、私の好きなペソアのポルトガルとはやっぱりちっとばかし違うよね・・・というどうでもいいような理由。Machado De Assis (1839‐1908)はブラジルを代表する作家で、ブラジル文学アカデミー初代会長。彼抜きではブラジル文学は語れないというほどの大御所だった。

じゃあ、重く暑苦しいのかと思いきや、確かに暑苦しい(笑) でもその暑苦しさはストーリーや文体じゃなく、語る死人の軽口風おしゃべりモノローグ。死人になってから作家になった主人公、ブラス・クーバスが、自分の不倫人生をしつこく、自分勝手に、自意識過剰に喋り倒す回顧録。特段波乱に富んだ人生でもなく、ドラマチックなエピソードもなし。それどころか、名声を得ることも出来ず、結婚も出来ず、”ブラス・クーバス膏薬”なる秘薬も結局は発明できなかった男の極めて俗人臭く、平凡な人生。長短含め160もの章に分かれた断章。時に読者に向かって、君はどう思うか?と問いかけてくる。かと思えば、言いかけておきながら、いや、これはよそう・・・と尻切れトンボ(誤魔化し?)でエピソードを閉じてしまうし、沈黙のモノローグは一章丸ごと、・・・・・・を数十行連ねて終わり。19世紀に書かれた書物だと思うと、この視覚的効果は相当に斬新だけどね。

”人間は考える葦であるだなんて、パスカルに言わせておけばいい。違う、人間は考える正誤表、そう、そうなのだ。人生の各局面が一つの版で、それはその前の版を改定する。そして、それもいずれは修正され、ついに最終版ができあがるが、それも編集者が虫にただでくれてやることになる。”

ラテンの国の中では保守的で奴隷性が正式に終焉を迎えたものも一番遅かったのがブラジルだそう。新しい価値観が生まれるその時代に古い思想との葛藤や、盲目に信奉する宗主国ヨーロッパの価値観を愉快なパロディで扱き下ろしてみたり、そういった社会背景を、あとがきでは丁寧に語ってくれるので、ああ、、そうなの・・とやっと気付いた初ブラジル文学。
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