ショックを受ける絵というのはそうそうあるものじゃなくて、私は今までに2度しかそういう絵には出会っていない。最初は何を隠そう小学6年生のとき。相手はクリムトの「接吻」。この絵はいつか見ようと夢見ながら、15年後に念願が叶いウィーンで出会えた。そして2つ目が有元利夫の絵。
早すぎた夕映―評伝 有元利夫 - 米倉守
彼の画業を視つづけた美術評論家、米倉守による書き下ろしがこの本。古本カフェにこそっと置いてあったものを1秒で手に取り、即決。
38歳という若さで亡くなった有元利夫は、夭折の天才というような孤高の芸術家ではなく、日常を暮らす何かを夢中に”作る”ことが好きな穏やかな人だったらしい。これは本当に偶然だけれど、疎開先の岡山で生まれた後、この近所、谷中に移り、そこでずっと暮らした。暮らしたどころか、谷中小学校、上野中学、駒込高校、東京芸大と界隈の中だけで生きていたといってもいい程。
画家の独創などというのはあたりまえのことで、偶像破壊を叫び、風景を愛し、いいもののいいところに惹かれない画家などに、独創も独立もないと思う。・・・・ 本当の独創などというものは、他を容れることによって自らが倒されないものに限るのである。静かな絵なのだけれど、気負いのない暖かい穏やかな絵だと思う。時代とか西洋とか東洋とか、男とか女とかを超越していて、宗教色というよりは宇宙色的。評判や名声や名誉に無関心で、夢中で内なる自分を見つめて深く深く籠っていくのに、その先には広くて大きな宇宙がある。音楽が好きだった有元利夫がバロック音楽の中で特に好きだったのばヴィヴァルディ。あの
”偉大とさえいえるマンネリ” が魅力だったという。寺と路地だらけの谷中の町とヴィヴァルディの組み合わせは不思議にも違和感がない。
他を容れて自らが倒されない・・・ 私は芸術家じゃないけれど、理想的な生き方だ。
- 関連記事
-
- http://besideabook.blog65.fc2.com/tb.php/307-48bf7f1e
トラックバック
また見に行きたいです。