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動物の宇宙誌

"多田 智満子さんといえば" でやっぱり始まった「鏡のテオーリア」のブログを改めて読み直してみたら、自分で書いた記事ながら、そうそう・・・と再び納得してしまった。
古今東西のあらゆる書物に精通し、博識だけでなく、さらにそれを土台にした自身の認識と感性とで、孤高の哲学者のような人だったらしい。
まさしく、今回もそう。
動物の宇宙誌動物の宇宙誌
(2000/06)
多田 智満子

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更に付け加えると、本人曰く、
古代史や神話に凝りすぎた結果、世界を千年単位で眺めるくせがついてしまい、めまぐるしい現代日本の新人類たちから化石と呼ばれている中高年の中でも、折り紙つきの化石であるという自信がある

自分の人生が100年にも満たないのに、千年単位で世界を見回すその視野はどうやったら培われるのか?

取り上げられた動物たちは、亀、鶴、いるか、馬、牛。孤高の哲学者の手にかかると、エッセイと呼ぶにはあまりにも典雅で香気溢れる随想集。千年単位の世界観の筆頭は、当然亀だった。浦島太郎と亀の物語なら、どうにかついていける。が、その後いるかや馬、牛になると、俄然ギリシャ神話の逸話と、中国の神話が多くなり、ああ、またしても、古代ギリシャ・ローマ神話と漢詩の高い壁に躓く。外国文学において、ギリシャ・ローマ神話は、日本の浦島太郎物語であり、因幡の白兎であり、ヤマタノオロチなんだろう。漢詩は未だに、高校時代の漢文嫌いのトラウマがあり苦手だが、今回多田智満子さんのこの一言は眼から鱗だった。これは《馬》の章の「馬の目利き、伯楽」の話し(これくらい有名ならわかるぞ)。
それにしても、ひきしまった簡潔な漢文を日本語に直すと、間のびすることおびただしい。

そういうことなんだ。漢文の真髄はひきしまった簡潔な姿なのか・・・ でも、間のびしている日本語は、間のびするからこそ醸し出せる柔らかさがあるんだろう。

多田智満子さんが動物を敢えて取り上げた理由があとがきにある。どんな動物も人間と比べたらどこかしら優れた点を持っており、昔の人々はそのことを体に染み込んだものとしてわかっていた。だからこそ、動物に畏敬の念を払い、決して自然と対峙するようなことはなく、常にそこに神性なものを感じ取る感性をもっていた。この感性が失われてしまったのは、人間だけを被造物の支配者とみなすキリスト教的な観念が広がったことと、私たちの日常があまりにも自然との接触を失ってしまったから。キリスト教をどうこういうつもりはないが、やはり一神教はちょいと苦手だ。森羅万象すべてのものに神が宿る八百万の神信仰が私は好きだなァ・・・・
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夜な夜な本読む・・・日本語は海外文学ばっかり。英語はフィクションばっかり。喰わず嫌いでどこまでいけるのか?

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