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ローベルト・ヴァルザー作品集3

「鄙の宿」を読むと、ゼーバルトが偏愛したローベルト・ヴァルザーが読みたくなる。いったいどんな本を書くのか?予備知識なしでとにかく、読んでみよう。
ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
(2013/05/31)
ローベルト・ヴァルザー

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出版元、鳥影社に彼の紹介がある。
ローベルト・ヴァルザー(Robert Walser)
1878-1956年。ドイツ語圏スイスの散文作家。長編小説の他、多数の散文小品・詩・戯曲を発表。1933年以降は精神療養施設で過ごし、1956年のクリスマスの朝、散歩中に心臓発作で死亡。同時代において、カフカ、ベンヤミン、ムージル、ヘッセに愛読されたその作品は、現代では、W・G・ゼーバルト、E・イェリネク、S・ソンタグ、J・M・クッツェー、E・ビラ=マタス、G・アガンベンらの作家、思想家に愛読されている。


精神を病み、筆を絶ち、生前は決して世間から評価されることはなく、がその後そうそうたる作家や思想家に愛読されたローベルト・ヴァルザー。読了後、それを納得できたかというと、全く持って奇妙な感覚だけが残る。これほど、不安な気持ちにさせる本もそうそうはない。

収められているのは、下記2作
『ヤーコプ・フォン・グンテン』
『フリッツ・コハーの作文集』

『ヤーコプ・フォン・グンテン』は、召使い養成学校、ベンヤメンタ学園に寄宿するヤーコプの日記風ものがたり。ヤーコブが語る一人称形式だが、そこの教師や同級生との会話がないわけではないが、とにかく客観性の欠片もないほど、ヤーコブが一人で語る。日常だけを描きながら、とにかく何かがおかしい。奇妙なのである。自虐的でありながら、自意識過剰、上昇志向の完全なる欠如。己の意思や感情を完全に抹殺することをよしとすることを教育されながら、それは思想統制とか文明批判のような、体制に反対する健全性ではないし、かといって、洗脳された異常な環境が作り出した化け物というのとも違う。ベンヤメンタ学園や、そこにいる人々にリアリティーがなさ過ぎる。もしかしたら、そこはヤーコブだけの内面世界なのかも知れない。物理的なグロテスクさはないが、精神的には十分グロテスクで、なのにおそらくヤーコブにとってはメルヘンチックな世界であるはずだ。全篇は彼の”僕は絶対に偉大な人間にはならない”という哲学が延々と語られているが、そんな倒錯ともいえる彼の思想にとって、学園はおそらく楽園なのだと思う。

『フリッツ・コハーの作文集』は、ある少年の作文集という体裁をとった断章の集まり。少年が書く「友情」「貧困」「自然」「職業」「学校」についての作文は、幼稚でもあり、妙に大人びてもいる。少年というものはそんなものなのかも知れないが、これもまた奇妙で、不安で、落ち着かない気分にさせてくれる。

どちらもこんなトーンで始まり、そして最後までこのトーンが続く。これがヴァルザーの一貫した作風だとしたら、これほど日常を舞台に奇妙な世界を描く人はそうはいない。

『ヤーコプ・フォン・グンテン』が出版されたとき、風変わりで、奇異で珍奇だとして、読者の評判も悪く、そして本も売れなかった。そんな否定的な評価だけでなく、当時から少ないながらも彼の小説を評価する者もあったのだが、『ヤーコプ・フォン・グンテン』が実質的に彼を同時代から離反させてしまった。今なお彼の描く世界は奇異であるが、不安にならずして読むことが出来ない以上、私は好きも嫌いも云えないところで完全に止まってしまった。
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