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緑の家

ここからいよいよ三部作の最初にいく。私が読んだのは、新潮社のこのバージョン。ラテン文学の最初、『百年の孤独』 もこの「新潮・現代世界の文学」シリーズで、今見ると文字は小さいわ、二段組みだわで、本を開いた瞬間にまずは閉じてしまう。『百年の孤独』 の時も、途中まで読んでブランクをつくり、また最初に戻りを5回くらいは繰り返した代物。今回も字の大きさはそれで、やっぱり二段組み。
緑の家 (新潮・現代世界の文学)緑の家 (新潮・現代世界の文学)
(1981/03)
バルガス・リョサ

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いやはや、リョサの代表作だけあって、ネット上には様々感想文が並ぶ。でもこれ、一度読んだくらいじゃ、絶対にわかんないでしょ・・・・どうも登場するのは、50人くらいになるというコメントもある。そもそも同じ人物が違う色々な呼び名で呼ばれるし、4-5個のエピソードがおっかぶさるように交錯して、断片的だし、時代も飛びまくるし、その飛び方も段落ごとに飛ぶならまだしも、フラッシュバック方式で行単位で過去の話が挟まれたり、会話に「 」 はないし、等々・・・・ いやはや、いやはや、この小さな文字の二段組という見たくれも含め、新潮・現代世界の文学は、ラテン文学のとっかかりとしては、挫折する要素満載。

でも、このうねうねとしたお祭り騒ぎのような騒乱と喧騒は、まるで密林に生息する原色の食虫植物のようだった。密林から近代化されつつ街から、修道院から、娼婦の館から、密輸業者から原住民インディオから白人から、修道女から、治安部隊の軍人から、略奪に強盗に強姦に売春に放火に殺人に・・・ 最初から最後までざわめきっぱなしの凄さ。それぞれのエピソードの顛末は、もしもう一度読み直すことがあったら、もうちょっと理解したいところだが、まずは、この何もかも飲み込む不思議な寛容さをとくと味わうことは出来る。白人=悪者 原住民=善人 という図式もなく、インディオたちを文化的人間に教育するという修道女が子供を悪魔呼ばわりしたり、無法者たちが案外情け深かったり、美人でもないのに男にモテたり、暴言を吐きまくる神父は放火をするし、何が正しくで何が悪かなどという西洋的な二元論はここにはない。美しいものも醜いものをすべて飲み込むのが、南米の密林。

「緑の家」 は娯楽など何もない町に突如現われた娼家だが、すべてが緑色のそれは砂漠の中のオアシスのようだった。そして運命に翻弄されるインディオの少女の瞳も緑色。「緑の家」を焼かれ、ハープ弾きとなるアンセルモが、ハープの緑は密林の緑なのだと云う。蔓植物の間でうごめく原色の食虫植物という私の脳内画像の中で、生命の象徴のような緑色が調所に織り込まれる。カラフルでありありとあらゆる命が息づく密林。

複数のプロットと、様々な人間像、縦横無尽の時間軸、そうそう簡単には読み解けない「緑の家」こそが、南米大陸なのだよと、というリョサ先生の声が聞こえてきそうだ。
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