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イザベルに ある曼荼羅

この書物について、アントニオ・タブッキの出版許可は存在しない、とあとがきの註にある。これはタブッキ没後に出版される未完の遺作第一号だそうだ。だが、生前タブッキは出版の意思を固めていた節があり、その証拠に、一旦親友の女性に預けた原稿を、読み直したいからと返してもらっている。

イザベルに: ある曼荼羅
Tabu8
男の名はタデウシュ。そして彼が探すのはイザベル。共に「レクイエム」で死者として登場している。サラザール政権下で姿を消したイザベルの消息を追い、タデウシュが、ポルトガルからマカオ、そしてスイスアルプスからナポリへと旅をする。自ら命を絶ったとされるイザベルとその謎を追うタデウシュ、9章からなる本書はその一章一章が円になぞられ、最終では同心円を描く曼荼羅の中に再現される。

珍しく(?)と云おうか、タブッキの作品にしてはかなりしっかりとプロットがある。イザベルは、タデウシュがその消息を追うごとに現実にサラザール政権下で生き、抵抗運動に関わり投獄された一人の女性として浮かび上がってくる。が、プロットはあるんだが、それはどうでもいいか・・・ とにかく再びタブッキの作品がこの世に現れ、そして彼のことだ、きっと温めたまま、世に出ずにいる原稿はあるのだろう。それを遺族が出すのか出さないのかは、彼らの意思に任せるしかないのだが、それでも期待をしてもいいのかも知れないと思えるだけで、私は嬉しい。

どうでもいいことなのかも知れないが、「レクイエム」の最後で、さよならを告げた私は空の月を見上げる。そしてこの「イザベラに」では、またしても別れの場面で、私は天空を見上げ、今回はよく知っている星(それはシリウス星だな)を見つめる。そうだった、タブッキは子供の頃から夜空を見上げて天体を観測しているような天体少年だったとどこかで読んだことがある。

再び、本書のプロローグ。
作家が齢五十も過ぎ、本も多数出版したあとで、まだ作家としての経験について弁明する必要を感じているなんて、変に思われるかもしれない。自分でも変だと思っている。たぶんまだ自分でも解決がついていないのだ。それがこの世界にたいする罪悪感なのか、それとももっと単純に、死者への思いが欠けているせいなのかがわからないのだ。もちろんそれ以外の仮説も成り立つかもしれない。ここで強調しておきたい。あの夏の夜、わたしがナポリへと想像力で羽ばたくことになったのは、あのとき遠くの空に満月が浮かんでいたからだ。そして月は赤かった。

タブッキは夜空を見上げるのがよほど好きだったとしか思えん。
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