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愉楽

初、中国作品。話題の1冊でちょっと高いからAmazonで見守っていたが、先日東京ビックサイトでのブックフェアにて予定どおりGET!初中国文学は恐る恐るスタート。何故そんなに評判がいいんだろう?

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閻 連科 谷川 毅
河出書房新社 2014-09-26

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真夏に大雪が降った年、障害者ばかりの僻村・受活村では、レーニンの遺体を購入して記念館を建設し、観光産業の目玉にするという計画が始動する。その資金を調達するため、村人たちの中から超絶技能を持った者が選抜され、旅の一座を結成する。飛ぶように走る片脚の青年、下半身不随の刺繍の名手、微かな音も聞き分けるめくらの少女…。激動の20世紀を背景に繰りひろげられる狂躁の日々。想像力と現実が混淆する魔術的物語。中国社会の矛盾を撃つ笑いと涙の大長篇。フランツ・カフカ賞受賞。

460ページの久しぶりの2段組。本は厚いので持ち運びは大変だが、その長さは気にならないくらい強く惹きつけられる1冊。笑いも涙も、マジックリアリズム的要素もある。でも、本家ラテンのマジックリアリズムに比べると、笑いは悲しく、残酷さやグロテスクさにしばしば心が痛くなる。現代中国の作品と云っても、中国の政治制度/社会制度が色濃くでている生真面目な作品では全くない。もちろん、現実としての史実も織り込まれていくのだが、戦後から文化大革命を経て、現在に至る中国は、むしろこの作品の中では、中国特有事情というより、すべての人に共通するテーマとして十分読める。

中国河南省西部の架空の村「受活村」 どこの県からも忘れられた障害者(障害のない人は、完全人と呼ばれる)だけが住むある種のユートピアであったが、大戦期に中国共産党の女性兵士、茅枝を村に受け入れて以来、その後の歴史に翻弄されていく。彼女の奔走で共産党国家の中に組み込まれた「受活村」は、しかし50年代の大飢饉の際には、党公認の略奪隊に襲われ、村の食糧は根こそぎ持っていかれ、村民は痛めつけられる。そんな後悔から、生涯を「退社」(村を人民公社から出すこと)に捧げることになる。一方若きリーダー柳県長は、貧乏県から脱するため、レーニンの遺体を買い取って、「受活村」にレーニン記念堂を建て、観光名所にしようという途轍もない村興し作戦を思いつく。遺体買取のための莫大は資金は、障害ゆえに超人的能力を身に着けた村民たちが結成する「絶技団」。この絶技団が国中を公演して金を稼ぎまくる。

章の合間に「くどい話」と名づけられた、いわゆる註釈が挟まれるのだが、これがただの註釈だけでなく、まるで単独の章のように、「受活村」や登場人物たちが、社会主義革命で被った受難の歴史が語られる。ホラと笑いのベールを被った本文の間のこの「くどい話」で、一転現実を見せられる気分になる。

心が痛くなりながらも、読了後に感じるのは、中国という国のスケールのデカさ。”白髪三千丈”の諺が伊達ではないと再認識するくらい、法螺のケタもでかいし、国そのものが底知れぬエネルギーを秘める。おおらかであり、しぶとくもあり、狡猾でもあり、人間臭くもある。中国は良くも悪くもデカくて深い。政治に翻弄され続けた「受活村」、徹底的に差別される障害者に、障害を逆手にとって見世物になり、大金を稼ぎ、でも結局は酷く甚振られ、哀れでもあるが、それでも生きる力を失わない。生きてこそなんぼのしたたかさは、今でも中国にはしっかり残るのだろうか?近くて遠い隣の国を日本はいつまでたっても越えられないのだなと思う。
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