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贋作者列伝

「女ねずみ」のマルスカートの贋作裁判から、話しはこの本に飛ぶ。不謹慎ながら、何故に”贋作”騒動はこうも惹き付けられるのだろう?

4791725115贋作者列伝
種村季弘
株式会社 青土社 2012-10-10

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ゴッホという幻想 オットー・ヴァッカー
ブロマイドのマリア ファイ v.s. ロータール・マルスカート
サイタファルネス王の王冠 イズライリ・ルホモフスキー
映画化された贋作過程 アルチェオ・ドッセナ
贋作を作らなかった贋作者 ベッピ・リフェッサー
無署名のデューラーたち
胴着姿の哲学詩人 ジョヴァンニ・バスティアニーニ
愛国者 v.s. 贋作者 ハン・ファン・メーヘレンⅠ
画家 v.s. 批評家 ハン・ファン・メーヘレンⅡ
コレクター v.s. 批評家 ハン・ファン・メーヘレンⅢ
模作と贋作の対話
あとがき


有名なハン・ファン・メーヘレンのフェルメール贋作は、以前にも読んだことがあるが、それ以外は初物。ここに挙げられている贋作者は錚々たる面子である。模倣や模写は美術を齧るものならみな行うが、それが売買され商業レールにのった瞬間に贋作というレッテルを貼られる。そして贋作者として名を馳せてしまった者も、実は芸術家の端くれで、本人が意図せずに模写したものが、贋作というキナ臭い騒動に巻き込まれてしまったり、往々にして贋作騒動の影には、戦争等の大きな政治的事由が根底にある。そしてそもそも決して金儲けのために贋作をしたわけではない場合、この騒動の面白さは数倍にも膨れ上がる。

あとがきで種村季弘氏が解説してくれている。
「オリジナリティをむやみに尊重するのは近代特有の呪物崇拝である」
近代以前は、今で言う芸術家は、芸術家というより王様御用達の職人集団であることが多く、作品も戦争や動乱による紛失や破損のために、オリジナルを複数作製したそうな。また個人の作品という概念も近代になって誕生した概念で、署名もそれに伴って生まれたものであって、それ以前には作品に作者の署名などなかったらしい。
署名=オリジナル=コレクターの個人所有とうサイクルが発生するのは近代的自我の発生と同時である
こんなところにも、近代の個人主義が登場する。

コレクターや画商とう存在も、オリジナルなる概念が登場するから生きていける輩である。そしてその何とも怪しげなネームバリューと裏腹に、案外ハリボテの胡散臭い評論は、芸術家たちからの恨みを買うこともあったわけだ。フェルメールの贋作を描いたハン・ファン・メーヘレンも自身の作品をこきおろした評論家が、贋作のフェルメール作品を前にして目を爛々と輝かせる姿をみて、そんなヤツに泡を吹かせてやろうというしたわけで、美術界のスノビズムを完璧なまでにこきおろしたわけだから、それはやっぱり爽快だ。

「オリジナル」とは何なのだ?芸術といえども、途中までは基礎も技術もあるわけで、でも芸術となるには、その先に”個”が付加され、それは時に作風と呼ばれたりもするんだが、凡作も偉大な画家の作品ならよいわけで、一旦「偉大」のレッテルを貼ってもらえれば、商業的には大成功だ。”個”というものは、技術ではないのだろう。その個性やオリジナリティーは、何とも心許ない、実態があるようなないようなものだ。本人の意思から離れて、売買の世界に投げ込まれる名作たち。だから、一泡吹かせてやった贋作たちは面白くて堪らないのだよ。。。
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