水声社はアマゾンに反旗を翻し、おかげでフィクションのエル・ドラードは総崩れに近い。決してアマゾン贔屓になるつもりはないのだが、ポチポチとしてしまう手に反して、脳みその中では、水声社を応援している。

さて、ちょっと間があくと、いつも存在が曖昧になってしまうCarlos Fuentes。
「老いぼれグリンゴ」を読んで、結構気に入り、
「誕生日」を読んで撃沈し、
「フエンテス短篇集」で復活し、やたら重い「澄み渡る大地」はほったらかしたまま、この本に手を出してみた。そして期せずして、トランプのメキシコ叩きの最中にこの本を読むことになってしまった。カルロス フエンテス が存命中であれば、彼は一石を投じるべく、本を一冊書き上げてくれたかもしれない。
首都の娘
痛み
略奪
忘却の線
マキラドーラのマリンツィン
女友達
ガラスの国境
賭け
リオ・グランデ、リオ・ブラーボ一見短篇集のようだが、登場人物があっちの篇にも登場したり、こっちの篇二も登場したり、押しては引いて、引いては押して、緩くつながりあう連作9篇は、アメリカとメキシコ国境のリオブラボーのようだ。9篇をこんな風に構成するというのは、なかなか面白かった。
メキシコをラテンアメリカのくくりの中に入れると、ちょっと違和感がある。今更”そもそも論”をぶり返しても仕方ないのだが、メキシコ領土を略奪したことから、愛憎混じる両国の戦いは始まることは事実。愛憎なんだなあ、と思ったのは、今回が初めてだ。まあ、愛は大袈裟かも知れないが、憎しみと同じくらいの憧れもそこにはある。憧れが強いから妬みも半端ではない。
リオ・グランデの北、
リオ・ブラーボの南、
言葉よ、翔べ、
哀れなメキシコ、
哀れなアメリカ合衆国、
これほど神から遠く離れ、
これほど隣り合っているとは『ガラスの国境』のフエンテスは、極めて社会的で、これでまた私のフエンテス像が曖昧になってしまった。彼の本は、テーマは一貫しているのに、浮き沈みが激しい気がするのは気のせいか?
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私もフィクションのエル・ドラードシリーズ好きです。装丁とか。でも、総崩れって???
フエンテスってどこか、諦観の境地的な感じ。なんか好きと思う時と、何でそんなつまんないことを言うの?みたいに感じる時とある気がする。きっと読み手側の心境によって読むたびに違う印象になるのかな。