誰にそそのかされてポチッたのか不明な英国ファルス派グラディス・ミッチェルの代表作。探偵もの。Gladys Maude Winifred Mitchell, 1901年4月19日 - 1983年7月27日。教師をしながら執筆活動をしたそうで、日本での知名度は今一つだが、本国ではそこそこの人気者らしい。ほぼほぼアガサ・クリスティの時代と被っているグラディス ミッチェル だが、アガサクリスティが”扇情主義、メロドラマ趣味” だとすると、ミッチェルは全く持って正反対でアンチクリスティなあっぱれな作家だったという評もあった。
ぼく、ノエル・ウェルズはソルトマーシュ村の副牧師をつとめている。 牧師のクーツさんは付き合いにくい人で、奥さんはやかまし屋だけど、姪のダフニは美人だし、村は平和そのもので、とやかく言うことはない。 ところが、牧師館のメイドが父親のわからぬ子供を妊娠し、お払い箱になった頃から、村では妙な事件が次々に起き始めた。そして村祭りの夜、クーツさんが何者かに襲われ、大騒ぎをしているうちに殺人事件の知らせが飛び込んできた。
そこで探偵仕事に乗り出してきたのが、お陣屋に泊まっていた魔女みたいなお婆さん、ちょっと気味の悪いところのある人だけど、なんでも有名な心理学者で、おそろしく頭が切れる人、いつの間にか助手にされてしまったぼくだったが……。
魔女の血を引くという変り種の女探偵ミセス・ブラッドリー登場の、英国ファルス派グラディス・ミッチェルの代表作。探偵も古今東西色々いるが、ここに登場する女探偵ミセス・ブラッドリーは奇人変人の探偵。よーく考えると、英国発祥の探偵は、奇人変人が多い。これが大西洋を渡り、アメリカに行くと、良くも悪くも普通の人間になり、せいぜいハードボイルドとか、知性はあるがほぼ引きこもりのマニアとか、個性はあれどもさほどキャラとしては驚くほどでもない。魔女の血を引くと、見た目も魔女らしくなるのか?と訝るがそのあたりは、誇張されているが故に面白い。殺人事件なので、人が殺され、その捜査があり、そして最後はトリックが明かされるのだが、探偵の名を借りた小説と云ったほうがしっくりくるかも知れない。読了後思うのは、トリックの面白さでも、イギリス流のブラックジョークでもなく、この女探偵ミセス・ブラッドリーの正体。その正体、素性を知りたいがために、グラディス ミッチェルをまたポチったというどうにも侮れない探偵さんだ。実際、事件解明までのあれやこれやはどう考えても、わざと混乱するように混乱するように書かれているとしか思えない。
舞台の田舎町は、一見のほほんとした平和な村で、教会があり牧師がいて、お屋敷に住む町の実力者がいて、パブがありそこで働く人がいて、と、どこにでもあるような平凡な様相。語り手である探偵助手になってしまった副牧師のノエルは、いかにも田舎の副牧師らしく、人はいいのだが、ちょっと頭脳の切れ味には欠け、でもなかなか気持ちのよい若者、曲者ミセス・ブラッドリーに阿保扱いされたり、時におだてられたりしながら、魔女ともなかなかどうして、上手くやっている。村人達の様子とか、村のお祭りが延々と続き、そして肝心の殺人事件はいとも簡単に1行で済ませられたりするので、危うく読み落としそうになる。探偵と助手のやり取りはあるものの、地元警察の存在も薄いし、捜査状況もほとんどないし、コージーミステリーというには、毒がありすぎるが、背景はどこまでいっても田舎の日常。
ウリは、トリックでもイギリスのブラックジョークでもないと、最後の最後にわかるのが特色。「付録」のなりをして、ミセス・ブラッドリーの極めてパーソナルな手帳が収録されている。奇人変人のオバサンかと思っていると、この手帳の記述は極めて人間的(!?)で知的だ。でもそれだけだったら不要だし、奇人変人度が薄れるので、要らないかと思いきや、最後の1行(まさしく最後の一行)にオチがあった。え~~~~、あ~~そういうこと、だった。それがあったがために、ミセス・ブラッドリーの素性に興味が湧き、ポチッてしまったわけだ。殺人事件それ自体とその全容がずば抜けて面白いということではないので、異色の探偵もの。邦訳はほんのわずかだが、実は相当な数を誇るシリーズものだ。1巻だけだと多分面白さは伝わりにくいんだろうと思うのが、ちょっと残念だ。
- 関連記事
-
- http://besideabook.blog65.fc2.com/tb.php/788-464e1d87
トラックバック
コメントの投稿