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ジャコメッティ

針金細工のような彫刻で有名なAlberto Giacomettiは、スイスのイタリア語圏で1901年に生まれた。1922年にパリに移り、戦時中は一旦スイスに避難するが、それを除けば、生涯をフランスで過ごした。日本人哲学者である矢内原伊作によるこの『ジャコメッティ』は、矢内原が1956年にジャコメッティに出会い、彼のモデルを務め、その後1961年にかけて5度の夏をパリでジャコメッティとともに過ごした記録だ。
4622044145ジャコメッティ
矢内 原伊作 宇佐見 英治
みすず書房 1996-04-20

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ジャコメッティに関する本は、本人のものも含め数多あるが、何故かこの本をかなり長いことAmazonの欲しいものリストに載せていた。何といってもみすず書房、元の値段がそもそも高いし、この手の本は値崩れしにくい。一瞬下がった時にすかさずポチッた。稀代の芸術家+哲学者+みすず書房の組み合わせは、最初恐れおののいたが、読み始めたら矢内原氏の何とも素直な文章にするすると入っていけた。ジャコメッティの展覧会は日本でも開催されたことはあるが、それはすべて逃し、唯一私が見たのは、何と1990年の夏のヴェネツィア。たまたま遭遇したのであるが、驚いて(嬉しくて)そこで見たのが最初。だが、私の先入観が”針金細工彫刻の人”だったため、その記憶しかない。この本で、矢内原氏はジャコメッティのモデルを務めたわけだが、それはデッサン及び油絵のタブローだ。

今回初めて知った人間ジャコメッティは、凡人からすると日常が破綻している人だ。生前に既に売れっ子になっていたにも関わらず、住まいはパリの下町の汚くて狭いアトリエ暮らしで、キッチンもないジャコメッティ夫妻は食事はカフェで食べることになる。が、食事といってもゆで卵という質素ぶり。オンオフの区別もなく、創作活動に没頭する彼は、睡眠もろくに取らず、創作の邪魔になるような訪問者は躊躇なく追い返す。人生すべては芸術のために生き、そのストイックさは度を超えている。作品はいつまでたっても完成せず、作っては壊し、また作っては壊す。完璧を求める彼には完成はない。すごいのは、それでも疲れを知らず、眠ることも惜しんで、生涯創作を続けることだ。発する言葉は、自己否定ばかりなのだが、きっと彼は苦悩を叫びながらも全くもって不幸であるどころか、むしろ幸せに見える。

「今日はずいぶん進歩した しかしまだまだ全部が嘘だ
見えている顔はこんなものではない
明日こそは 少しは正しく描くことができるだろう
早く明日になればよい!」


「それは鼻の先端から始めなければならないということだ。顔のすべての部分は鼻の先端から始まって背後に向う動きの中にある、鼻は一つのピラミッドだ。上から見たピラミッドを描くことさえできたら、他の部分は自然にできあがるにちがいない。」

「空間の正しい深さは薄く塗ることによってのみ達せられるのだ。これは矛盾だ、しかし矛盾だからこそ試みる価値がある。」

こんなことを毎日毎日叫ぶ、否、毎分毎分叫び続けている。

ピカソの絵の前で呟いた。「これはポスターだ、ポスターとしてはよく出来ている。」

「今日の他の画家たちがどういうつもりで、そしてどういうふうにして仕事をしているのか、私には全然わからない。彼らはタブローを作るために描いている、つまりタブローをオブジェとして作っているのだ。オブジェは限られ閉ざされたものだから彼らはすぐ行きづまる。一つの仕事をどこまでも続けて行くことができない。しかし絵画にせよ、彫刻にせよ、本当の芸術はどこまででも続けて行くことのできるものなのだ。」


何が本当の芸術かなんて、私には語れないが、少なくとも彼はどこまでもいつまでも本当の芸術を求め続けることができた人だ。打算をせず、名声に目を向けない芸術家など(芸術家に限らず)いるはずはないと思っていたが、彼は或る意味望まずして名声を得てしまったのかもしれない。

「今日のほとんどすべての画家は、主観をすてて自然を忠実に模写するかわりに、ひたすら主観を表現しようとする。絶えずこれまでになかった新しいものを求め、他人に似ることを恐れて個性的であろうとする。結果はどうか。今日の展覧会で見たように、現代の画家は千差万別のようでいて不思議にどれもこれも同じように見える。個性的であろうとしてかえって非個性的になっている。新しいものを求めながら古いものを繰り返している。(中略)アブストレの若い画家たちの多くは自然を模写すれば通俗的になると思い、通俗的になるまいとして主観的個性的な絵を描こうとする。ところが実は、それによってかえって通俗的になっているのだ。事情は全く逆だ。セザンヌは個性的であろうなどとは少しもしなかった。彼は主観を捨てて自然を忠実に模写しようとしたのだ。しかも結果においてセザンヌの絵ほど個性的なものはほかにない。」

主観を捨てる、個性的であろうとしない。彼の意味することは、ひたすら自然やモデル実物本人を忠実に見つめることからすべてが始まり、それ以上でもそれ以下でもなく、そしてそれが最も難しいことだという。その意味で彼は被写体に対して物凄く謙虚であったのだと思う。芸術とは即ち、自己表現だというのは私の(現代の私たちの)勝手な思い込みであって、目に見えるものを見える通りに描くことこそが、彼にとっての理想の形であった。ただ、これは写実的であることではない。それなら写真でいいことになる。見える通りに描くその眼はジャコメッティの眼だ。捨てたはずの主観が、自分の眼で忠実に見続け、作っては壊し、作っては壊して行った先に、比類なきジャコメッティだけの世界ができていた。
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