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書架記

う~~ん、そうきたか、というのが感想。吉田健一氏がよくある愛書の紹介なんてするはずなかった。

4122009014書架記 (中公文庫 A 50-5)
吉田 健一
中央公論新社 1982-02-10

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下記が掲載されているのだが、どれ一つ読んでいない。読んでいればわかるという単純なものでもない。途中気づいたんだよね、これは本の紹介ではなく、彼の自伝みたいなものなのだろう。
ラフォルグの短篇集
「ヴァリエテ」
プルウストの小説
ドヌ詩集
「悪の華」
ワイルドの批評
エリオット・ポオルの探偵小説
マルドリュス訳の「千夜一夜」
ホップキンス詩集
「パルマの僧院」
イエイツ詩集
「ブライヅヘッド再訪」
「テスト氏」
ディラン・トオマス詩集


彼も一般読者にあてて書いているわけでもない。そもそもレベルの低い読者は(笑)とっとと切り捨てている。ではなんなのか?というと、後記にこうある。
これはもともと本棚にある本で殊に愛着のあるものを一つずつ扱う積もりでいたのが書上げた結果を見るとその半分が曾てどこかに住んでいる時には本棚にあって今はないものになっている。それな らばこれはその程度にその曾てはあった本に対する追悼文だろうか。 併しそれでも構わない。現に本棚にあるものも未来永劫にそこにあるものではなくて本が我々にとって持つ意味というものはそういうことと無縁のようである。

昭和48年6月 著者


これらの本は、彼が「運命的なものが働いている」と感じた本を選び、そしてその本たちは 暗記してしまうほど繰り返して読み、その付き合い方はまるで「生活の上で起こった或る種の事件」のような相貌を帯びてしまった、ものであるという。その”生活の上で起こった或る種の事件”というのは、どういう感覚なのだろうとずっと考えているが未だわからない。ラフォルグの短篇集で、こんなことを云っている。
これを最初に読んだ時に経験したことはその後にも先にもないもので、こんなことを書いた人間もいたのかと思うよりも前世か何かで自分が書いたことをそれまで忘れていた感じだつた。
”あの”吉田健一にして、これを云わしめたのだから、彼が若かりし日に出会ったラフォルグの詩から受けた衝撃は相当なものであったことは十分想像できる。それにしても、”前世で自分が書いたことを忘れていた感じ”は、吉田氏以外に感じることができる感覚なのだろうか??

それぞれの本はいつも本の姿から入る。装丁、版、紙質、製本の仕方・・・ここに紹介されている本の大半は戦争で焼けてしまったという。戦前の蔵書はちょっとしたものだったらしく、その後二度と手元にはなくとも、そらんじられるほど繰り返し読んだ本、版は違えど、再び手に入れた本、何度も何度も読むということは、脳みそだけではなく、指の先の触覚までも染み込んで自分の一部になるものなのだろうか?何度も何度も読むからこそ、本というものは読めればいいやの姿ではいけないのだと気づかされる。紙質然り、製本方法然り。なぜ紙の本なのか、それは本というものはこうやって人と伴に生きながらえていくべきものだからこその形だったのだ。
と、内容には全くついていけなかったが、そこに気づいただけでも今回の読書は私にとっては眩暈だった。そして寝かせてあった「ブライヅヘッド再訪」 を手に取り、ついでにエリオットポールを1冊入手してみた。
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