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奇跡なす者たち

「宇宙探偵マグナス・リドルフ」 「天界の眼: 切れ者キューゲルの冒険」に続き、三冊目のJack Vance。国書刊行会では、ジャック・ヴァンス・トレジャリーの第3巻目、『スペース・オペラ』がまもなく発売になろうとしている。うれしいなあ・・・

4336053197奇跡なす者たち (未来の文学)
ジャック・ヴァンス 浅倉久志
国書刊行会 2011-09-26

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今回は短篇集
「フィルスクの陶匠」(酒井昭伸訳) The Potters of Firsk
「音」(浅倉久志訳) Noise
「保護色」(酒井昭伸訳) The World Between
「ミトル」(浅倉久志訳) The Mitr
「無因果世界」(浅倉久志訳) The Men Return
「奇跡なす者たち」(酒井昭伸訳) The Miracle Workers
「月の蛾」(浅倉久志訳) The Moon Moth
「最後の城」(浅倉久志訳) The Last Castle


マグナス・リドルやキューゲルのシリーズを読んでいた時は、ただただ楽しかったが、この短篇で思ったのは、これはもうブンガクだなあ、ということ。SFは喰わず嫌いだが、これが今でもSFと呼ばれるのなら、それは撤回しないといけないかもしれない。ケタケタと笑うことは少なかったが、その描写の見事さといい、異星人間の戦争の様といい、これは毛色はちょっと変わっていようが、異文化間コミュニケーション論と云ってもいいかもしれない。宇宙を舞台に、人間の?地球の?常識にとらわれずに、異なる世界を舞台に作り上げるジャック・ヴァンスは天才!と私なんかは思ってしまう。色彩の見事さ、音楽の使い方、五感の表現、一体どうやったら、こんな異次元の感覚を思いつけるのか不思議だ。

超未来の話しとすると、途轍もなく進歩した科学が最先端のものかと思いきや、そこにあるのは、むしろ魔術や原始の世界であったりする。無理やり考えれば、過去の人類の暗い闇の歴史を下敷きにしているのかと思えなくないが、そんな当てはめ方も無粋な気がする。まことに見事な豊潤たる世界。ヴァンスの起伏にとんだ放浪人生なくして、これだけの創造力は生まれてこなかったのかもしれない。

これは傑作選なのか?と思ったりしたが、もしそうじゃないとしたら、まだまだお宝が一杯なはずなので、強く復刊を希望!!
さて、私は何が好きだったかと云えば、奴隷と貴族のお話しに見える大作『最後の城』を押しのけて、皆が仮面を被って素性を隠し、言葉は楽器の調べに乗せ、まるで和歌でも詠んでいるかのように会話するという『月の蛾』。想像するだけで無気味でシュール。

根府川というところ

いまさらGWの話しだが、遠出もできないし人混みは大嫌いだし、でも折角のお休みだし、と思案した挙句、未探索地根府川に行ってみたのは、5月4日のこと。

根府川は小田原駅から熱海方面の東海道線に乗ると、小田原から2つ目になる。鉄道小僧には駅が有名。その駅の凄さは前々から知ってはいたが、小田原に居ながら根府川に行く用事はない。が、あの駅のホームに降り立った時の爽快さは何度いってもいいと思う。海抜45mにあるホームの眼下はすぐ海、後ろはすぐ山、よくもここにと思うような場所に駅はある。駅は無人駅になったそうで、駅舎は木造の小屋と呼んでもいいような建物だ。

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数年前にヒルトンホテルができたが、そこにいくとしても車でいくか、小田原駅からでている送迎バスで行く人がほとんどだと思う。根府川駅への送迎バスもあるし、駅から15-20分山道を登ってもらえれば歩いても行けるだが、そこまでする人はあまりいないだろうね。それ以外に観光地検索をしても、そうそうヒットはない。海に面した日当たりのよい斜面は、昔からミカンが栽培されるミカン畑だ。春にはおかめ桜という桜が咲き、お祭りもあり、それはそれは美しいのだそうだが、今年は行きそびれてしまった。駅は鉄道小僧には有名な場所だろうが、それ以外本当に何もないよのね。GWだから、根府川にしては人がいる方なのだと思うが、お蔭さまで人混みには巻き込まれず、景色を堪能できた。あまり目的地もなく適当に歩くものだから、途中からミカン畑に入り込み、一本道をただただ下るという羽目になった。日当たりがよいというのが凄くよくわかるのは、山を下りながら、その向こうに相模湾が見えるという場所がたくさんあったからだ。ミカン畑はミカンだけでなくレモンもあった。手を伸ばせば十分盗める状況ではあったが、それはやめてみた(見事なレモンだったんだが)。バスも通らぬ道をひたすら歩き、気づくと海のすぐ脇を走る国道まで下り、やっとのことで再び根府川駅まで戻ってきた。

勿論根府川探索は楽しかったのだが、実は少々悲しい気持ちになって帰ってきた。「田舎礼讚」 という言葉が今頭の中にあるのだが、実際にここに住むということは私には出来ないだろうなあ。平地が少なく集落と云うほどの集落もない。まず何屋であろうが、店舗というものを見かけなった。どこかにあるのかもしれないが、私は見つけられなかった。みんなは日常の細々した買い物をどうしているのだろう。ほとんとが山のこの地では、歩くといっても大変だし、自転車もほぼ使用不可だろうな。人口が少ないのだから、コンビニも海沿いに1件あるだけらしく、それは観光客対応だといっていいと思う。ミカン農家というのは、通常の畑なんかより数倍も広い畑を手入れするのだから、その手間も大変だし、収穫して運び出すのも山からだ。跡を継ぐのも軽い気持ちでできるものでもない。きっと山を売ったところで、そうそう売れるものでもないのだろうし。少子高齢化、空き家問題、過疎問題、縮図みたいな場所なのだろう、そんなことを外にいる人間が軽々しく云えたものではないが、何もないという清々しさを味わうということは、裏を返せばこういうことなのだということを、地元だからこそ悲しく思うのよね。そしてそんな場所だからこその色々な計画があることもちょっとは知っている。廃校になった中学を利用しての畑や太陽光発電や、空き家バンクの登録、柑橘類を加工した商品づくり、等々。そういうことをやり始めるその一歩は、どうしたら踏み出せる一歩なのだろう?踏み出してしまったからこそ、ぶち当たる壁とどう向き合っているのだろう。

でも、そんな人たちがいてこそ、そんな人たちに賛同する人があってこそ、モノが溢れようが、最後は人なのだと、東京にずっといたらそういうことには気づけなかったかもしれない。

オシリスの眼

なんでも、ここに登場するソーンダイク博士は、当時シャーロックホームズと肩を並べる探偵だったらしい。元々医者であったRichard Austin Freemanだが、体調を崩し、遅咲きながら作家に転身。後世の推理小説家からも、お手本的な作品として評価されているらしい。

4480433902オシリスの眼 (ちくま文庫)
R.オースティン フリーマン R.Austin Freeman
筑摩書房 2016-11-09

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エジプト学者ベリンガムが不可解な状況で忽然と姿を消してから二年が経った。生死不明の失踪者をめぐって相続問題が持ち上がった折も折、各地でバラバラになった人間の骨が発見される。はたして殺害されたベリンガムの死体なのか?複雑怪奇なミステリに、法医学者探偵ジョン・ソーンダイク博士は証拠を集め、緻密な論証を積み重ねて事件の真相に迫っていく。英国探偵小説の古典名作、初の完訳。

久しぶりに王道に出会った気分。推理小説としても王道だが、小説としても王道だ。犯人が誰なのかの当てっこに終わらず、殺人の動機と犯罪のプロセスの描き方が実に丁寧。地味で無意味に饒舌と取られるかもしれないと心配になるが、実際に犯人は誰かというより、トリックの謎の方が面白い。登場人物は案外少なく、ベリンガムの弟とその娘、そしていとこ、ベリンガムの弁護士、以上だ。つまり犯人はこのうちの誰かだ。対する謎解きチームは、法医学者探偵ジョン・ソーンダイク博士と彼の友人、そして教え子のバークリーが語り手となって進んでいく。きっかけは、バークリーがベリンガムの弟ゴドフリー・ベリンガムの主治医(代理)になったことから始まる。行方不明となったエジプト学者ベリンガムがその直前に、厄介な遺言書を残していたことから、この生死不明の遺言者の遺産をめぐる殺人事件が起きる。

ソーンダイクは安楽椅子探偵で、パシリ担当はバークリーといったところ。理論を徹底的にに組み立てていくタイプで、天才にありがちな勘というものは、そこには登場しない。”帰納論理学”という言葉で彼の探偵としての卓越した脳みそを表現していた文章もあったが、科学者である彼は、事実を丹念にそして公平に収集し、積み上げ、結論を導く。つまり最後には、こうであるとしか考えられない、という結論と、その証明。ネタあかしも、驚くのだが、云われてもれば至極納得のトリックであり、奇想天外などんでん返しではない。

ヴィクトリア朝?エドワード朝?のロンドンを舞台に、当時の匂いもプンプンするし、エジプトものということで、大英博物館に訪れる場面もしばしば登場する。バークリーが、ゴドフリー・ベリンガムの娘に恋をするという現代から見ると何とも奥ゆかしい恋愛も絡むのだが、二人がデートをするのが大英博物館で、ふたりでエジプト文献を探し、ロンドンの街を歩くのだな・・・

ひとつだけ不満があるとすれば、ソーンダイク博士は老人ではなく、そこそこに若い法医学者探偵だったということを途中で知った。えーーーである。バークリーが教え子だったというし、博士との会話から察するに、どう考えても初老の博士だと思っていた。そう途中で気づいても、どうしても初老のソーンダイク博士しか想像できない。ここが妙に色気のあるシャーロック・ホームズに若干水をあけられてしまう理由なんじゃなかろうか?確かにホームズものは彼のエキセントリックな性格が楽しいという側面は多分にある。ソーンダイク博士は人間としてまとも過ぎるのだな。

彼の別の作品「歌う白骨」が青空文庫にあることを発見した。訳の出来はどうなのだろう?まあ、読んでみるか・・・  

So, Anyway.......

読める自信がなかったので、Kindle for iPhoneにしてみた。邦題は「モンティ・パイソンができるまで」というらしい。544ページもあった。この日本語タイトルはそのままじゃん。 オリジナルの「So, Anyway.... 」がどうにか日本語にならないのかと考えてみたが、悔しいことに思いつかなかった。
 
009958008XSo, Anyway...: The Autobiography
John Cleese
Arrow 2015-06-04

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いや、難しかった。邦訳だったらゲラゲラ笑えたかもしれないが、肝心のオチでわからんかった。ケンブリッジ大学入学前の少年時代から大学時代を経て、BBCに入社して、最後はモンティ・パイソン結成となるのだが、前半に行くほど面白いような気がする(つまり、徐々に普通になっていくような気がする)。わからないなりにわかるのは、これはイギリス人の英語だということ、それも、そこそこ教養を養った人の英語だ。Cleese曰く、自分はLower Middleだというが、このLowerってあたりにむしろインテリジェンスを培う素養があるのだろうな。British Englishが得意な方は是非、オリジナルの英語がお薦め、そして興味はあっても辞書引きなんて面倒でやってられない私は、そこそこわかって満足してしまった。

決して鼻につく文章ではない。自慢話し満載でも自虐的でもなく、案外淡々と書いているが、時折あーーそうそう、と思うのは、繰り返しのしつこさ。形容詞なんてせいぜい2つ並べればよいところを、5-6個並べたてる。最初の1-2個まではわかるとして、残りは同義語辞典でも引いた方がいいんじゃないかというしつこさで、意味がわからなくてもそのしつこさで笑える。例を挙げるにしても3-4個あげれば済むものを、10個もそれ以上も列挙して、それだけで可笑しい。彼はそもそも子供の頃から背が高く(公称196cm)、それだけですごく目立つ存在だったのに、どこか不器用で恥ずかしがりやだったから、パブリックスクール時代の笑い話しはそのネタが多い。歌もダメ、踊りもダメ、大学までは弁護士を目指していたというのに、よくぞエンタテイメント世界に足を突っ込んだと思うが、モンティパイソンと云う集団は、どうも脚本家の集まりのような集団で、役者という業務については、そこに争いはなかったらしい。が、スケッチの内容については、しつこいほどに校正、校正、の連続だったという。

モンティパイソン結成前後くらいの後半の後半になると、実際のスケッチの脚本がいくつも出てくる。これは結構楽しめた。楽しめたし、脳内でモンティパイソン小劇が駆け巡り、John CleeseやGraham Chapmanがしゃべっている声が聞こえた(気がする)楽しさだった。

まあ、彼の自伝を読んだ後で云うのもなんだが、私が好きなのはEric Idleなのよね。Eric IdleはJohn Cleeseのケンブリッジ大学の後輩にあたり、この自伝でも最後の方にならないと登場しない、どころか、あまり登場しない。Eric Idleはどうもモンティパイソンの中では一匹狼らしかった。John Cleese にとってやはり一番の相棒は、大学時代からずっと一緒だったGraham Chapmanだったようで、一時ケンカ説も噂になったが、彼が若くしてこの世を去ったときは、随分と哀しい思いをしたのだろう。彼に対する賛美、愛情に溢れているのだな。もう再結成はしないのかな、モンティパイソン・・・

ダヴィッド・ゴルデル

「クリロフ事件」
「秋の雪」
ときて、イレーヌ・ネミロフスキーの三冊目を読んでみた。これが26歳の時に書いた処女作だという。持ち込まれた出版社も、この激しい小説の著者がまず女性であること、そして26歳という若さに2度驚いたという。

4896424387ダヴィッド・ゴルデル
イレーヌ ネミロフスキー Ir`ene N´emirovsky
未知谷 2014-04

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ジュリアン・デュヴィヴィエのトーキー第一作として映画化されたというが、なるほど読んでいて映像が浮かびやすい。3冊読んだが、彼女の作品は確かにどれも映像が浮かぶ。

ユダヤ人の叩き上げの実業家、ダヴィッド・ゴルデルの晩年を描いたこの本は、「ユダヤ人が嫌いなユダヤ人作家」によって書かれたと、親ユダヤから非難され、反ユダヤからは恰好のネタにされた。貧しいユダヤ人の移民が来る者すべてを叩き潰して成り上がり、周りは常に敵だらけ、妻も娘も金の無心しかせず家庭は崩壊、そして今や狭心症の心臓発作で自らの人生の終わりが忍び寄ってきた。出だしは、同じくユダヤ人で共同経営者だったマルキュスが、ダヴィッドの援助拒否に合い、自殺を遂げるシーンから始まる。「ばかめ破産した位で死ぬのか、何故やり直さないんだ」と云い放つダヴィッド。

出だしからこれだったので、少し怯むのだが、すぐに彼がただの強欲ジジイでもないことがわかる。彼は金を貯めることに興味があるわけではなく、儲けた金は次の投資に注ぎこむギャンブラーで、だから巨万の富を持っているように見えて、同じくらい負債も抱えている。ビジネスのことなど何も知らず興味もない妻と娘は、ただただひたすら彼から金を引き出させ、宝石や放蕩に注ぎこむ。彼と同じ出自で、貧しいユダヤの卑しい娘だった妻は、狭心症で倒れた夫に、今死んでならない、すべての後始末をつけてから死ねと、彼を責める。そして溺愛する娘は、お前の子ではないと云い放つ。一方娘は、無一文のロシア亡命貴族とスペイン旅行に行くために車が欲しいと金を病床の父にせがんだり、遊蕩三昧。出てくる人が皆、デフォルメされ過ぎている感があるが、そのおかげでドライブ感が増していることも事実だな。

自分の娘ではないと云われたその娘のために、最期の賭けをしに自分の故郷ソ連のテイスクに向かう。死に瀕している状態でも彼の強い意志と意識は生きている。だが契約締結が終了し、帰途につく船の中でついに力尽きて果てる。最期の勝負は己のプライドだったのか?娘への愛だったのか?死に際に彼の傍らに居たのは、テイスクを逃げ出しパリに向かおうとしていた若者だった。かつての自分と同じその若者に、自分の死を伝えて欲しい相手の名と住まいを告げ、持ち金はすべてやると云って、息を引き取る。でもきっと若者は、金だけとって伝言は届かないのだろうなあ。

確かにあまりにも寂しい最期だ。だが、自分の才覚だけ信じ、何があっても起き上がるそのエネルギーは、ユダヤ人嫌いには決して描けなかったと思う。故郷を離れざるを得なかったネミロフスキーだからこその愛情がそこにはありはしないか(少々複雑な愛情だが)。読み終えて思うのは、彼女の作品は読みやすいし、一気読みタイプで気持ちがいい。が・・・・私にはちょっとドラマチックすぎるかあな。抑えて抑えて・・・が好きなタイプには、やり過ぎ感が残る(あくまで、私には・・・)

タブッキをめぐる九つの断章

こんな本がでていて、驚いた。

490798622Xタブッキをめぐる九つの断章 (境界の文学)
和田 忠彦
共和国 2016-12-23

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須賀敦子さんの後を継いで、最近では和田忠彦氏がタブッキの本を翻訳してくれている(感謝、感謝)。タブッキがこの世を去ってから早5年。この本は、新聞・雑誌、展覧会カタログに発表されたエッセイや、翻訳された本のあとがきをまとめたものだから、たぶんほとんど既読なのかもしれないが、なんせ、タブッキの本は面白くて好きなくせに、そのことだけは覚えていて、中身はキレイに忘れていくから、初めて読んだ気になってしまった。ただ、タブッキと和田氏の対談というものがあって、これはおそらく読んでいない。まるでタブッキが生き返ってきたような錯覚にとらわれ、なんだかちょっと嬉しくなった。

タブッキのミニマリストぶりは、どの本を読んでも??が飛び交うほどで、文字に描かれていないことを読んで感じるには、1度や2度読んだくらいじゃダメだろうから、再読をすべきなんだろうけど、相変わらず出来ていない。タブッキがそうなのはよいとして、和田氏もまるでタブッキが乗り移ったような文章をここでは披露してくれている。禅問答のような会話をタブッキと出来るだけで、私なぞはもう和田氏を尊敬してしまった。

本を書いて出版する以上、人に読んでもらうことを想定しているのだろうが、この本については、和田氏が自分の為に書いたとしか私には思えない。死してなお自らの中に生きる最愛なるタブッキへのオマージュとでもいうか・・・そして、私のようなファンもまた、こうやってタブッキのことを時折思い出し、感慨に浸るわけだ。そして和田氏がいる限り、まだ日本に紹介されていないタブッキの作品が出版されることを期待してもよいのだと、嬉しくなった。

そんな再読もしないくせに、ファンを名乗る私がしっかり覚えていたのは、この一文。
「あの島々がまだあるのかどうかもわかりませんが、おそらくあるのでしょう。地図を眺めていると、よく見かけますから。」 
『ポルト・ピムの女』 邦題は「島とクジラと女をめぐる断片」 より。Tabucchiはこの本を書く際にアソーレス諸島を訪れて以来、その後一度も再訪しなかった。私が最初に出会ったタブッキがこの本だ。いつかこの本を抱えてアソーレス諸島を訪ねることができるだろうか?

蕗の葉っぱの話し

季節ごとに待ちわびる食材というものがあるが、春の筍と蕗は私にとっての二大巨頭である。以前にもこの筍と蕗ネタで一度記事を書いているが、今日の話しは、蕗の葉っぱの話し。。。

蕗の葉っぱは実に地味だ。茎の部分を食べる人がほとんどであろうと思う。実際に、農協の直売所でさえ、葉っぱが切り落とされて売っている蕗は多い。かくいう私も、葉っぱは苦手で、実家の庭で収穫できていた頃は、葉っぱは少しだけ残して、捨てていたりした。その頃は、茎と葉っぱを同時に一つの鍋で煮ていたわけだが、どうも葉っぱに手が伸びない。で、数年前に気づいたのだな、微妙に味付けを変えるという技に・・・

それまで蕗を煮るときには、酒と醤油のみ。味醂、砂糖などの甘味はないものが好きだった。が、葉っぱというのは、茎以上に苦みがあり、こちらはちょっと甘味を加えて、細かく刻んで佃煮風にしてみた。このちょっとの甘味が劇的な変化を遂げたのだった。本当にちょっとのことなのだが、葉っぱは葉っぱだけ煮ると美味いのだった。蕗好きの云う事なので、欲目があるのは確かだが、でも私にとっては、大きな驚きだった。それ以降、面倒ではあるが、茎と葉っぱは少し味付けを変えて、別々に煮る。そして、とうとう今年に至っては、何だか葉っぱの方が美味しいと思うほどまでになってしまった。

さて、こうなってしまうと問題は、巷では葉っぱが落とされて売っていることが多いということである。葉っぱ付の蕗は少数派も少数派で、2束辛うじて残っているとか、全くないことだってある。開店時刻を狙って一番葉っぱを切り落としそうもない農協直売所にダッシュする、もしくは、ほったらかしの他人さまの庭の蕗をもらってくるしかない。昔は実家の庭からとっていたが、めっきり蕗が出なくなった今では、悔しいが買っている。だから蕗を、伸びて伸びて困る雑草くらいにしか扱っていない他人さまの庭が恨めしいのである。

と、ネットでこんなものまで発見してしまった。蕗の葉を塩漬けにして、おにぎりに巻いたものだ。魅力的過ぎる。美味いに決まっている。週末再び葉っぱ探しをしなくては。。。
蕗の葉のおにぎり

Appendix

プロフィール

Green

Author:Green
夜な夜な本読む・・・日本語は海外文学ばっかり。英語はフィクションばっかり。喰わず嫌いでどこまでいけるのか?

流行りモノとか、人気モノとかすっかりどうでもよくなり、本と散歩とあとはぼぉ~~っとすることだけが今の楽しみ(それでいいのか?)

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